いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ドキンちゃんにさせない為に

連休を家族で過ごすたび、娘と一層仲良くなれたという手応えを感じる。

 

今回の連休もそうだった。最終日である今日は、朝から娘が私に抱っこをせがんで、せがんで仕方なかった。

 

そんな娘を、私はついつい甘やかしてしまう。

 

いけないなとは思いつつも、いつも一緒にいられない平日からの反動もあり、休みの日くらいはと、娘の要求にできるかぎり応えてあげたいと思ってしまうのだ。

 

賢い娘はそんな私の気持ちを見透かしているのであろう。休みの間は妻ではなく、私に対しておねだりをしてくることが多い。

 

それにより、妻は娘から目が離せて多少助かっている面もあるのだろうが、その反動が平日にくることまでを考えると、喜んでばかりはいられないであろう。

 

私はそんな妻に少しだけ申し訳なく思いながらも、やはり愛しの娘を目の前にすると、そのおねだりを上手く断ることができない。

 

たまに、どうしても受け入れられないおねだりがあると、さすがの私も断ることがあるのだが、その場合は泣きながらママのところに駆けていってしまう。

 

その光景をみると、私としてはやはり少しだけ寂しい感情が沸き上がってしまうのだ。もはや娘の術中に、すっかりはめられてしまっているのであろう。

 

このままだと、娘はわがままな子になってしまうのではないか。

 

私の中でもいつもそのような葛藤はある。

 

アンパンマンのアニメを見るたびに、ドキンちゃんみたいなわがまま娘になってしまうのでは、という想像を巡らせてしまう。

 

たしかに、ドキンちゃんは小悪魔的な可愛らしさはあるのだが、今のご時世、あのような性格に需要はないであろう。あんな女の子になってしまったら、娘はきっと行き遅れてしまうに違いない。

 

そうならない為にも、今私が娘を甘やかしすぎてはいけないのだ。

 

しかし、言うは易し行うは難し。

 

あらためて、躾って難しいなと思う。

 

いつも一緒にいるママはもちろん大変なのだろうけど、いつも一緒にはいられないパパも、それゆえの難しさがあるだろう。

 

今私に必要なのは『嫌われる勇気』なのかもしれない。

 

今更ながら、あのベストセラー本を手にとり、勉強してみようかしら、なんて。

 

そんなことを思う、休日の昼下がり。