いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

妻シック

昨夜ひとりで寝ている時、ふいに妻に会いたくなった。

 

娘恋しいの次は妻恋しいか、と我ながらに呆れてしまうのだが、こればかりは自分でもどうする事もできない。

 

私は暗闇の中でおもむろにiPhoneをまさぐり、音楽を再生した。「手嶌葵」のアルバムだ。彼女の曲を聴いていると、まだ娘が生まれてくる前の妻とのふたりの思い出が蘇ってくる。

 

妻の誕生日に「手嶌葵」のコンサートを観に行った。どちらかが特別にファンだったというわけではないのだが、私も妻も彼女の音楽にはどこか心惹かれるものを感じていた。

 

ちょうど誕生日に大阪公演があったからという理由で、私たちはコンサートに足を運んだ。しかし思い返してみれば、ふたりで誰かのコンサートを観に行くのは、そのときがはじめてのことだった。

 

彼女の声から発せられるマイナスイオン。心を撫でる癒やしのメロディ。知らない楽曲であっても関係ない。どの曲でも優しく暖かい音楽が私たちを包んでくれた。

 

私たちはそのあまりの心地よさに、途中うっかり眠りに落ちてしまったほどだった。(ほんとに、ものすごく気持ちよくて・・・)

 

私たちはこれ以上ないほど至福の時間を味わった。コンサートが終わると物販でCDを買い、列に並んで、ご本人と握手も交わすことができた。

 

このコンサートを通して「手嶌葵」は私たち夫婦にとって特別なアーティストになった。今でも折に触れては聴き返し、そのたびに心地よい思い出の毛布に包まれるような気持ちになる。

 

そんな「手嶌葵」を聴きながら、私はひとりベッド上でさらにその胸を焦がしていた。ますます眠れなくなった。まったくの逆効果だった。

 

妻が隣にいるときは、私はものの数分で眠りにつくことができる。

 

特に触れ合うわけでもなく、話をするわけでもないのだが、ただ横にいてくれるだけで、私は安心して夢の世界へと旅立つことができるのだ。(妻にとってはそれが寂しくて、イビキはうるさいらしいのだけど・・・)

 

なかなか眠れないのでゴロゴロしていると、お腹がぐぅと情けなく鳴った。ほれみろ、お腹まで空いてきたぞ。

 

妻が実家に帰って以来、夕食もろくなものを食べていない。コンビニ飯にもすでに飽き飽きしており、最近では「からあげくん」も喉を通らなくなってきた。

 

妻の作ったご飯が食べたい。頭の中でそうつぶやくと、同意を示すかのように、お腹がもう一度ぐぅと鳴った。

 

娘恋しいと違って、妻恋しいは実害があるからやっかいだ。ただ「寂しい」だけではなく、「寝れない」、「お腹が空く」の三重苦だ。

 

妻と娘に会えるまではあと三日。

 

指折り数えている日々も、あと少しで終わりを告げる。

 

早く妻の隣で、満腹なお腹をさすりながら、イビキをかいて眠りたい。