いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

夜のカラオケ大会

娘は歌うのがどんどん上手になっている。

 

昨日もマイク付きの『おうたえほん』を使って、お風呂後にカラオケ大会をしていた。

 

この『おうたえほん』、最近調子が悪かったのだが、前日に電池を交換したところすっかり元の調子に戻った。すると娘は、このところ遊べなかった反動もあるのだろう、久しぶりにこの『えほん』で長いこと遊んでいた。

 

各ボタンを押すと歌付きの曲が再生される。ちょっと前まで娘は、その曲に合わせハミングしながら踊っていただけだった。しかし最近ではしっかりとした口調で歌を歌う。

 

もちろん完璧ではないのだが、一生懸命に口の形をつくり、お手本の歌と同じ発音ができるよう、努力をしている様子が窺える。

 

また音程をとるという面でも、めきめきと上達しているようだ。ただ言葉をなぞるだけではなく、しっかりとメロディを奏でようとしている。彼女のそれを聴いた人は、きっと『歌』だと認識してくれることだろう。

 

そのように彼女があまりにも楽しそうに歌うので、昨日は私も一緒になって歌っていた。すると途中、そんな私に娘がマイクを渡してくれたのであった。

 

かくいう私も、そこそこに歌心がある方だ。

 

大学時代は軽音楽部にも所属していたし、お風呂場での単独コンサートなら、それこそ小さい頃から毎晩のように開催していた。

 

上達しているといっても娘はまだほんの2歳。私は歌における実力の違いを見せつけるため、本気の歌を披露することにした。

 

娘からのリクエスト曲は『となりのトトロ』だった。

 

「となぁりのトットロ、トットォロ~♪」

 

私はラルクアンシエルhydeのように歌った。一瞬にして曲がヴィジュアル系の様相を呈していく。

 

娘は目をまんまるにしていた。『となりのトトロ』にこんな歌い方があったなんて。そんな新発見に全身から感動が沸き上がってきているかのようだった。

 

「だぁれぇかがぁ~♪こぅおっそりぃ~♪」

 

歌はテクニックじゃない、表現力だ。私はそのことを娘に一番伝えたかった。そのため私は、とにかく感情を込めて歌った。声だけじゃない、表情や身振り手振りも含めて『歌』なんだ。そんなメッセージが溢れていた。

 

「こぉみぃちぃに、こぉのみぃうっず~めてぇ~♪」

 

もちろんテクニックもおざなりにはしない。マイクの使い方もそう。抑揚のつけ方、小節終わりの余韻の残し方。ビブラート、しゃくり、その出し方でもオリジナリティは表現できる。

 

「すぅってぇきぃ~な、ぼぅ~けんはじまるぅ~♪」

 

サビでは頭の上で左右に手を振った。歌は全身で見せることも重要なのだ。目の前の大観衆をイメージして、それらファンの皆との一体感を作り上げる。それも歌い手にとっては大切な役割なのだ。

 

「こどぉ~ものときに~だけ、あなたに訪れるぅ~♪」

 

歌い終わりは一番肝心だ。そこでどう余韻を残すか、大歓声を引き出すかが、腕の見せ所でもある。私はぎりぎりまで間をあけ、気持ちよく歌いあげた。

 

「ふしぎぃなであい~♪」

 

娘はただただ圧倒されていた。

 

そしてその目は輝きに満ちていたのであった。

 

娘は私からマイクを受け取ると、さっそく『となりのととろ』を再生した。そして私の歌い方と手振りをなぞるように、何度も何度も練習をしはじめたのだった。

 

・・・・・

 

結果、なんとも奇妙な『となりのととろ』が完成した。

 

妻からは「責任とってよね」と冷たく言われた。

 

でも、後悔はしていない。

 

娘にはしっかり歌の奥深さが伝わったはずだ。

 

それだけでも、私が一肌脱いだ甲斐があっただろう。

 

繰り返す、私は後悔はしていない。