いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

リフレイン

娘は私の言葉をよく繰り返す。

 

「暗いね」

「くらいねぇ」

 

「居ないね」

「いないねぇ」

 

このときの拙いながらに妙に感情が込められた言い方が、私は大好きだ。どんな言葉であっても、娘が言うとたちまち可愛くなってしまう。

 

同じ言葉を言っているだけなのになぜだろう。昨日はそのあまりの可愛さに、会話の流れそっちのけで考察に耽ってしまった。

 

まずひとつ、そのたどたどしい舌足らずなところが萌えるポイントなのだろう。これがあるだけで何を言っても甘いときめきを抱かせる。

 

つぎに抑揚のつけ方だ。娘は語尾の「ねぇ」をなだらかに持ち上げる。それが相手への同調を示すことを、私たちの会話から学び習得しているのだろう。

 

もうひとつはやはり感情の乗せ方だ。ただ音として真似するのではなく、娘なりの感情が込められるからこそ、そこに熱が乗り“娘の言葉”になるのだ。

 

そしてなにより、それら“幼さゆえ”のたどたどしさと、“妙に大人じみた”抑揚や情感という絶妙なるギャップが、その愛らしさを演出しているのだと思う。

 

まさに娘がもつ“子どもらしい部分”と“マセた部分”の合わせ技なのだ。それゆえに、私と同じ事を繰り返すだけなのに、底知れない可愛さを発揮しているのだろう。

 

そんな考察を経て、私はとても満足し得心がいった。

 

すると、娘が怪訝そうな顔で私を見上げていることに気がついた。会話をすっぽかして急に脳内考察に入ったので、不自然な間を空けてしまったのだろう。

 

「だいじょうぶ?」

 

心配そうな顔を向けてくる娘。私はしゃがみこみ娘の前で笑顔をつくると、その可愛らしい言葉を繰り返した。

 

「大丈夫」

 

案の定、同じ言葉なのに可愛らしさはひとかけらもなかった。それでも娘は笑顔になってくれた。

 

私は思わず彼女をそっと抱きしめた。