いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

需要と供給

需要と供給は得てして釣り合わないものだ。昨日、家族3人ふとんで横になっていて、そのことを痛感した。

 

誰にも邪魔されず眠りにつきたい妻。そんな妻に抱っこしてほしい娘。そんな娘に抱っこしてほしい私。

 

ひとつの矢印の向きが変われば皆ハッピーになれるのに、そうならないのが世の常というものだ。

 

更に言えば、昨日は妻の体調が悪くそういう縮図になっていたのだが、普段ならさみしがり屋の妻の矢印は私の方を向くことが多い。

 

そうなれば3つの矢印がくるくる回り、じゃんけんのグーチョキパーのような関係性になるのだ。全員片思いの漫画『ハチミツとクローバー』を思い出す。

 

そのように、普段は矢印がすれ違う布団の上なのだが、昨日は私の大人気ないあがきもあり、なんとか娘の矢印を少しだけ自分に向けることができた。

 

だんまりを貫き早々に眠りにつきたい妻を横目に、まだまだ遊び足りない娘と同調し、ちょっかいをだし遊びを持ちかけたのだ。

 

当然、娘からすればママにかまってもらうのが第一希望なのだが、ママにそのそぶりはなく、このまま眠るのは退屈なので、消去法でパパの誘いに乗ってくれたのだ。(書いててなんだか悲しくなるな・・・)

 

そんなわけで、私は寝静まる時間まで娘と「きゃっきゃ」とじゃれ合っていた。妻はさぞかしうざったかったに違いない。

 

ちなみに私は今日会社が休みだ(四半期毎の一斉休暇日)。そのため4連休を前にテンションも上がっていたのだろう。今は少しだけ反省している。

 

しかしそのときは、ついに娘がかまってくれたので嬉しくて堪らなかった。思いっきりじゃれ合って、笑顔を交わし、いくつかの楽しいおしゃべりをして、いつのまにか二人とも眠りについていた。

 

薄れゆく記憶の最後には、私の元を離れ妻にすり寄る娘の姿がかすかに残っているのだが、もしかしたらそれは夢であったかもしれない。朝起きると、娘はしっかり私の横で寝息を立てていた。

 

需要と供給が成り立てば、毎晩このような幸せな時間が過ごせるのだろうか。

 

でも、よくよく考えてみれば家族は3人なので、どこか2人の矢印が向き合ってしまうと、残りの1人が寂しい思いをすることになってしまう。

 

また、毎晩じゃれ合っていたら睡眠不足になるだろう。夜は静かに眠るもの。娘の成長を妨げてしまったら元も子もない。

 

実はそれぞれが片思いしているくらいが、ちょうどいいバランスなのかもしれない。

 

そういう意味でいうと、我が家はすばらしい均衡が保てているのだろう。