いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ささやかな蓄積

「はい、ちーず、かしゃ」

 

娘が両手の指でつくった不格好な四角形を覗き込み、その“カメラ”のシャッターを切った。

 

娘は気に入ったものを前にすると、よく自分の“想像カメラ”を持ち出す。今回の対象物は、お茶が少しだけ入ったコップと、空になったティッシュペーパーの箱だ。

 

「もうちょっと、こっちね」

 

そう言いながら、娘は机に並べたそれら対象物の位置を微調整しはじめる。そして納得する位置に配置し終えると再び“カメラ”を構え、「かしゃ」と撮り始める。

 

今度の構図には満足できた様子で、娘はふんふんと鼻息を鳴らす。そして「ぱぱ、○○ちゃん、はいちーず、したよー」と、嬉しそうに報告してくれるのであった。

 

きっと彼女は、娘がなにかするたびに写真を撮りだす私たちの真似をしているのだろう。この調子でいけば将来はカメラ女子になるかもしれない。

 

もちろん彼女の今の“カメラ”では、写真は残らない。

 

またこんな些細な思い出は、幼い彼女の記憶からもきっとすぐになくなってしまうだろう。

 

そして記憶容量が極めて少ない私も、いつまで覚えていられるかは甚だ疑問である。

 

それでも、こんなささやかなる日常を、君の面白い行動の数々を、ひとつひとつしっかりと覚えておきたい。

 

だからこそ、私はこうやって日々“文字のアルバム”に書き記していくのだろう。

 

いつの日か、君はこんなことをしてたんだよ、と言って一緒に笑い合えたら、こんなに嬉しいことはない。