いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

高野山を歩く

昨日は高野山に行ってきた。妻のご両親を連れての『関西観光』第三弾(二条城、道頓堀、高野山)だ。

 

高野山は和歌山北部に位置する、高い山々に囲まれた標高約800mの平坦地である。日本における真言密教の聖地とされており、世界遺産にも登録されているらしい。(以上、後知恵)

 

地下鉄で難波まで行き、南海電鉄、ケーブルカーを乗り継ぎ、約2時間半ほどで到着。まずはバスで『奥之院』へと向かった。

 

奥之院参道に足を踏み入れた瞬間、神秘的な雰囲気が身を包んだ。真っ直ぐ天に伸びる無数の杉の木。その傍らで顔を出す苔を纏った墓碑たち。そこで供養されているのは有名な戦国武将から名の知らぬ有権者まで。これまでに見たことのない幻想的な風景だった。

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参道を数十分歩き、いくつかの橋を渡ると『奥之院』に到着した。すると小さな御堂の前に行列ができていた。訳もわからず並んでいると、前に並んだ親切なおじさんが『弥勒石(みろくいし)』の行列だと教えてくれた。

 

通称『重軽石(おもかるいし)』。なんでも「感じる石の重さ」がその人の「罪の重さ」だと言われているようで、善人であれば軽いと感じ、悪人であれば重いと感じるらしい。

 

そういう石なので、さぞかし「軽いけど重いような」絶妙な重さの石なのだろうと思っていたのだが、体験した他の人達の感想を聞くと、持ち上げるのも困難なほど「とてつもなく重い石」だということだ。まぁ、私は軽く感じたのだけど。

 

灯籠堂への参拝を済ませると、参道を歩いて帰った。今度は途中からのバスにも乗らず、約2kmの道を歩いて行った。

 

豊臣秀吉武田信玄伊達政宗、徳川、真田、島津。錚々たるメンバーの石碑が置かれていた。その人の権力が形や大きさに表れており、とても興味深かった。

 

外国人に人気なパワースポットというのも理解できる。歩いているだけで澄んだ空気が身体に満ちていく、そんな気持ちになった。

 

歴史に興味ある妻やご両親も、興味津々に墓碑を見て回っていた。娘も基本的には元気よく参道を闊歩し、疲れると抱っこ、回復すると歩く、を繰り返していた。

 

参道を歩き終わると、次はバスで金剛峯寺に向かった。その建物内と庭園を見終わった頃には夕方となり、帰宅時間も考慮し、そこで帰路に就いた。

 

帰りもケーブルカーに乗ったのだが、なんでもこの3代目ケーブルカーはこの週末で引退し、54年間の役目を終えるそうだ。来年にはスタイリッシュな『4代目』のお披露目が予定されている。

 

それにしても54年間、このきつい斜面を一日何本も上り下りするのは、さぞかし大変だっただろう。一度に百人超えの人を乗せ山を上るというのは、たいそう重く感じたに違いない。

 

「いや、軽く感じたけどな」

 

そんな善人ぶって強がるケーブルカーの声を想像した。なんにせよ、最後に乗れてよかった。長い間お疲れ様。

 

高野山は気に入ったので、またいつか行きたいな。