いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

しゃべれない父、しゃべれる娘

声がでなくなってしまった。

 

半分は誇張で、半分は事実だ。風邪の菌たちが喉への一斉放火をはじめたのか、喉に激痛が走っている。

 

昨日はとにかく会社でツラかった。思うように喋られないということが、ここまで仕事に支障をきたすとは。

 

しかも木曜は自分主催の定例打合せがあり、昨日に関して言えばその前段にも重要な会議があった。つまりは一日中、私がしゃべり続ける必要があったのだ。

 

打合せや会議以外の場面でもそうだ。様々な調整事を、私はできるかぎりフェイストゥフェイスで行う。もしくは電話だ。もちろんメールも活用するが、それは口頭説明と必ずセットにしている。

 

声は裏返るし、2センテンスもしゃべればみるみる擦れていく。昨日はいろんな人に「大丈夫?」という心配の言葉をかけさせてしまった。


喉が痛いだけで、その他は元気だから尚もどかしい。それでも、なんとか昨日のうちに今週やるべきことを完遂させ、2時間の残業の後に帰宅した。

 

家に帰ると、妻と娘がお風呂に入るところだった。娘の風邪はもうすっかり完治している。ここ数日、安静に過ごしてきたおかげだろう。

 

風呂をあがり、夕食を食べた後にトラブルが起きた。寝室にひとり行った娘が、急に泣き声を上げたのだ。

 

慌てて妻と駆けつけてみると、大粒の涙を流している。何か痛いことがあったのだろう。妻は彼女を抱きしめ、背中をさすりながら、どうしたの?どこが痛いの?なにがあったの?と聞いた。

 

すると娘は、まず頬を指さし「ほっぺ、ゴンってした」と泣きながらに答えた。そしてベッド淵の角を指さし「つるってして、ここでゴンって」と、持ちうる言葉だけで、正確な状況説明をしてくれたのであった。

 

私たちは彼女を慰めながら、「凄いね、ちゃんと説明できたよ」と深い感心に包まれていた。その後、彼女の頬には薄く青あざが浮かんできた。可哀想だが、まだ打ち所がほっぺたでよかったかもしれない。

 

さて、一夜明け、今朝も私は相変わらず声が自由に出せない。そのため今日は大事をとって会社を休もうと思う。昨日の帰り際にも、課長にはその旨を伝えていた。仕事も昨日でやりきっておいたから問題もない。

 

今日は家でゆっくり過ごし風邪を治そう。そして自分で喋れない分、おしゃべりな娘の聞き役にでも徹しよう。