いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

献灯使

多和田葉子の『献灯使』を読了した。
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実はこの作家のことは最近になって知った。調べてみると日本を代表する世界的な作家らしい。そして今作で『全米図書賞(翻訳文学部門)』を受賞したようだ。

 

この本を読み始める前に、同じ著者のエッセイ『言葉と歩く日記』を読んでいた。その中で、多和田さんの言葉に対する変態的なまでの強い探究心に感銘を受けた。

 

そして、この人が書く小説を読んでみたい、そう思い、この本を並行で読み始めたのだった。

 

この本には5つの短編が収録されている。どの話からも、彼女らしい言葉への拘りが感じられた。端々でさりげなく使われる言葉たちに、独特の深みがあるのだ。

 

ただ個人的な感想を言わせてもらえば、この作品は私には少し合わなかった。扱っているテーマも深刻なので、私の読み手としてのレベルがまだ追いついていないのかもしれない。

 

どの短編も描かれる舞台は共通している。東日本大震災をきっかけに崩壊した「架空の日本」が舞台だ。

 

原発事故により外国から差別され、鎖国状態となっている。文明は退化し、食べるものも十分に手に入らない。老人達は放射能により“死ねない”身体となり、逆に生まれてくる子供たちは動くこともままならないほどに貧弱になっている。そんな恐ろしい世界だ。

 

とにかく想像力がすごい。原発、震災、少子高齢化。どれも現代の日本が抱えている深刻な問題たちだ。そんな現実から着想を得て、様々なアイデアが盛り込まれ、リアリティのある絶望的な世界が描かれていく。

 

日本で生まれ育ちながら、現在は外国(ベルリン)に住む彼女だからこそ書ける物語だろう。そして彼女の常人離れした発想力と、それを表現できる文章力があったからこそ、この作品にこれほどの力が備わったのだろう。

 

文章も当然ながらとても上手いのだが、私はどちらかと言うと、彼女のエッセイにおける自然な文体の方が好みだった。もしかしたら他の小説では文体が違うのかも知れないけれど。

 

ただ、今作で多和田葉子という作家を知れたのは大きな収穫だった。他にも気になる本があれば、いつか手に取ってみたいなと思っている。

 

そして、今も読み進めているエッセイ『言葉と歩く日記』についても、ゆっくり堪能した後に感想を書きたい。お気に入りな一冊になりそうな予感だ。