いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

太陽の塔

森見登美彦の『太陽の塔』を再読した。
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最初に読んだのは私が高校生のときだ。友人に勧められ、借りて読んだ。そのときは「正直好みでないな」という感想を抱いたように記憶している。

 

この作品は、独白する冴えない京大生を主人公に、失恋の切なさを面白おかしく描いたものだ。当時の私は、この物語を味わう上での人生経験がまだ足りなかったのだろう。今改めて読み返してみると、その面白さには腹を抱え、切なさには胸を締め付けられる。

 

とにかく主人公と仲間たちのこじらせ具合、頭でっかち加減が痛快に面白い。防衛本能からくる饒舌な弁明、妙に論理じみた詭弁、巧妙な話のすり替え、はぐらかし等。よくぞここまで、ともはや感心してしまう境地だ。

 

また、自分では否定をしつつも、全く隠しきれていない元恋人への未練も実に愛らしく、人間味を感じて主人公への親しみを抱く。

 

さて、本作は森見のデビュー作であるが、彼の魅力溢れる文体はこの時点で既に確立されている。

 

語彙と機知に富む、茶目っ気たっぷりな語り口だ。人によって合う合わないはあるのかもしれないが、私は思わず真似してみたくほどに魅力を感じている。

 

思えばそのような文体に魅了され、私は大学時代に『第一次森見ブーム』を迎えた。彼の作品を次々と読み漁り、ついにはその当時世に出ていたものを全て読みつくしてしまった。

 

そして今、彼の文章の面白さを再確認し、ふたたびブームが訪れる兆しがある。ただ幸いなことに、あの頃よりも世界が広がったおかげか、他にも読みたい本が溢れているので、森見中毒になることはなさそうだ。

 

最後に、タイトルでもある『太陽の塔』について。本書にでてくる塔に対する形容は本当にどれも素晴らしく、心から共感を抱いてしまう。

 

むくむくと盛り上がる緑の森の向こうに、ただただすべてを超越して、太陽の塔は立っている。

 

ことごとく我々の神経を掻き乱さぬものはない。何よりも、常軌を逸した呆れるばかりの大きさである。

 

バスや電車で万博公園に近づくにつれて、何か言葉に尽くせぬ気配が迫ってくるだろう。「ああ、もうすぐ現れる」と思い、心の底で怖がっている自分に気づきはしまいか。

 

「つねに新鮮だ」そんな優雅な言葉では足りない。つねに異様で、つねに恐ろしく、つねに偉大で、つねに何かがおかしい。

 

一度見てみるべきだとは言わない。何度でも訪れたまえ。そして、ふつふつと体内に湧き出してくる異次元宇宙の気配に震えたまえ。

 

実は私も、太陽の塔に対しては並々ならぬ思いをもっている一人だ。一目見たときから心射ぬかれ、今では同じ吹田市にマンションまで買ってしまった。

 

ただ、そんな私の熱い想いについては、またいずれ改めて書くことにしよう。とにかく、太陽の塔愛する人たちにとっても、大いに共感が得られる作品ではないか。

 

さて、久しぶりに失恋の甘酸っぱさを思い出させてもらった。森見作品はこれから定期的に読むことにしよう。