いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ちゃまま

『ちゃまま』のことをご存じだろうか。

 

少なくとも私は知らない。とりあえずその響きから、可愛らしい小型犬を思い浮かべ、その後、南米あたりの陽気なリゾート地を想像した。

 

しかしそのどちらでもない。『ちゃまま』とは、2歳の娘が発した言葉なのだ。こんな文脈の中で使われる。

 

「ぱぱぁ、ちゃまま、きてよー」

 

そう『ちゃまま』とは、パジャマのことだ。

 

昨日は会社のイベントで帰りが遅くなった。家に帰り着くと妻と娘は既にお風呂に入っており、ワイシャツ姿の私に向かって、先の言葉を娘が発したのだった。

 

それにしても『ちゃまま』だ。可愛すぎやしないか。

 

私は「~すぎる」という表現があまり好きではなく、常日頃は使うことを控えている。しかし、この『ちゃまま』に対しては、流石に使わざるを得ないだろう。

 

可愛すぎるし、キュートすぎるし、プリティすぎる。

 

絵本作家になって『ぶんぶくちゃまま』という物語を書きたい衝動に駆られた。ベストセラー間違いなしだろう。ストーリーは全く想像できないが、タイトルだけでバカ売れ必至である。

 

想像を巡らせれば、なんだかポケモンにもいそうな名前だ。私は151匹目以降のポケモン達をよく知らないので、存在していたとしても不思議ではない。

 

また、幼児が笑ったときの効果音にも適しているような気がする。あの邪気のない、ぱっと花が咲くような笑顔。まさに「ちゃままっ」という感じではなかろうか。

 

このように、娘が2、3回口にした言葉だけで、なんとも幸せな妄想に浸り入ることができた。

 

やはり可愛いは正義。可愛いことを考えているだけで、人は幸福になれるのだ。この世から戦争を無くす鍵は、もしかしたら『可愛い』が握っているのかもしれない。

 

さぁ、全人類で高らかに叫ぼうではないか。そのとき可愛らしい『ちゃまま』姿なら、この上なく素晴らしい。