いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

あたりまえ

妻と娘の体調が悪いため、家の中で休日を過ごした。

 

ただ、娘は快方に向かっている。昨日は一日熱が出なかった。普段通り元気な様子も見せている。ひと安心だ。

 

一方で、妻は単なる風邪などではない原因で体調を崩している為、回復にはもうしばらくかかりそうだ。私は今日から仕事に行くので心配である。

 

そんな状況にあるため、昨日も私が夕食を作った。リビングに敷いた布団で妻と娘が遅めの昼寝に入った隙に、キッチンに立った。

 

妻からのリクエストを受け、野菜スープを作る。私だけではこれまでに経験はない。寝る前に妻からもらったいくつかのヒントだけを頼りに、作り始ることにした。

 

レタスと水菜とウインナーを切り、鍋に入れコンソメを加えた。野菜室にニンジンとじゃがいもがあったので、ポトフのイメージが浮かび、それらも加えることに。

 

自分で料理をやってみると、気づくことは多い。

 

「夕食に1品増やすだけでたいそうな手間だ」これは料理をする前から漠然とだが想像はできていた。しかし、実際には同じ料理に“1具材加えるだけ”で、たいそうな手間がかかる。

 

例えば、ジャガイモをむいて入れるだけで、地味に時間を食ってしまうのだ。考えてみれば“あたりまえ”なのだが、やってみてはじめて実感させられる。

 

その後、隠し味を気取って大好きなアゴ出汁の粉末を加えてみた。組み合わせは微妙かもとは思ったが、奇跡的に風味がでて、味に奥行きがでたように感じた。それにコンソメを少し加え味を整える。ウインナーからでた肉汁が、良い加減に甘さを足してくれていた。

 

その後は得意の餃子も焼き、冷や奴と野菜等、いくつかの小皿料理を準備した。ご飯も炊き上がり、夕食の準備は整ったが、妻と娘はまだぐっすりと眠っていた。

 

そのため、私はゴミを集め外に捨てに行くことにした。この連休でキッチンのゴミ箱と、娘のおむつ箱が溢れかけていたのだ。そしてついでなので、その足でスーパーにも買い出しに行くことに。妻がフルーツとチョコが食べたいと言っていたのを思い出したのだ。

 

ゴミドラムにゴミを捨て、寒空の下スーパーへと歩いている途中、ひょっとして、今私は“いい夫”ができているのではないか、と少しだけ誇らしい感情が芽生えた。

 

しかし、すぐに気がつく。これは妻が常日頃“あたりまえ”にやっていることだということに。私は急に恥ずかしい気持ちになった。

 

家に帰ると、二人が起きたのでみんなで夕食を食べた。妻は私のスープを美味しいと言ってくれた。とても嬉しい気持ちになった。私も妻の料理には、たくさんたくさん美味しいと言おう、これまで以上にそう思えた。

 

さて、この1週間は我が家の踏ん張りどころだ。妻が早く回復し、“あたりまえ”の日々が戻ってきますように。