いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

トイザウるス

トイザらスでとある少女が咆哮をあげた。我が娘だ。

 

はしゃぎ回った疲れもあり、眠くもあったのだろう。大粒の涙を流しながら支離滅裂な主張を繰り返していた。

 

「これじゃなぁい!これかうのぉ!」

 

彼女は店内サンプルのカートと人形を指差し懇願し、私たちが差し出す、それとまったく同様のパッケージに入った新品たちを頑なに拒否し続けていた。

 

ここでいったん話を整理するが、娘の要求と私たちの提案は完全に一致している。我々は彼女の欲しがるものを買ってあげようとしているのだ。

 

しかし、娘は狂気のあまり冷静な判断ができなくなったのだろう。ピカピカの新品ではなく、数多の子ども達の手垢にまみれ、髪がボサボサになってしまった人形の方が欲しいのだと、涙ながらに訴えていた。

 

それを乗せるベビーカートにしてもそうだ。頼りなさげに軋むヨレヨレのサンプルではなく、綺麗に折り畳まれた新品の方がどうみても良いだろう。

 

それでも娘は頑として自分の主張を曲げなかった。現品限りの展示品に拘った。別にマネキン買いをするのはいいが、なにもそれ自体でなくてもいいではないか。

 

最後は娘が叫び暴れる中、妻がこっそりと新品をレジにもって行きお会計を済ませた。私は娘をなんとかなだめ、家に帰ったらあのオモチャ達で遊ぼうねと言って、娘を落ち着かせた。

 

その後、娘は昼食を食べながら限界に達し、深い眠りの世界へと落ちていった。1時間後に目を覚ました時には、嘘のように機嫌が戻り、妻が下げた買い物袋から覗く人形とカートに気付くと、更に上機嫌になった。

 

家に帰って人形とカートを組み立てると、楽しそうに遊んだのは言うまでもない。あの絶叫はなんだったのだろうか。人形を乗せたカートを引いて家中を駆け回る娘を見ながら、私と妻は苦笑いをするしかなかった。

 

トイザらスには恐竜が棲み、時に子供に乗り移るのであろう。そうでなければ、あの咆哮の説明がつかない。