いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ハーモニーランドでの悟り 〜人生は『カメラを止めるな!』だ〜

早起きをして、大分のハーモニーランドに行ってきた。

 

娘はサンリオのキャラクター達にときめき、カラフルな乗り物に乗り、終始ご満悦な様子だった。

 

その終盤、『サンリオキャラクターボートライド』というアトラクション(ディズニーランドの『イッツアスモールワールド』に似ている)に乗った。

 

その最中、娘の隣に座り、その日一番となる彼女の笑顔を眺めながら、ふいに、ある考えが私の心に芽生えた。

 

“私は今、娘を通して『人生の2周目』を味わっている”

 

これまで一人称で進んできた物語、その視点が一段上がり、過去に歩んできた道のりについての『種明かし』が急に始まったような、そんな感覚を覚えたのである。

 

更に発想は連なり、自分に孫ができた未来にまで想像が巡った。きっとそのとき、人生は3周目へと入るのだ。2周目の親目線から更に一段視点が上がり、今度も張られてきた伏線が次々と回収されていくのだろう、と。

 

そこまで考えたとき、それが何かに似ているなと思った。数ヶ月前に見た映画『カメラを止めるな!』だ。

 

突如先行きが見えないままに始まるゾンビ映画の第1章。その背景となる種明かしがされていく第2章。それらを踏まえ、別視点で再び物語をなぞっていく第3章。

 

人生はあの映画のように、子供や孫の別の視点を通じて、何周もの追体験を重ねていくことで、真相を知り、その深みを味わうことができるんじゃないだろうか。

 

そして人生の最後には、あの映画のエンドロール、「ゾンビ映画を撮る、映画スタッフ役を撮る、本物の映画スタッフ、を撮ったメイキング映像」のような俯瞰的な視点で、走馬灯が流れるのかもしれない。な〜んて。

 

そのような考えが、わずか数分間のアトラクションの間、私の頭を巡り、心を捉えて離さなかった。長いトンネルを抜け地上へと戻ったとき、私の空想も解け現実の世界へと戻ってきた。なんとも不思議な体験だった。

 

人生は『カメラを止めるな!』的な多重構成になっている。私には妙にしっくりとくる啓示的人生観だった。

 

その考えに則ると、私の人生はまだ2周目が始まったばかりのところだ。まだまだ先は長いが、映画でいうと「ちょうど面白くなってくる」ところでもある。

 

そう思うと、これからの人生が更に楽しみになってきた。これまでに対する種明かしを味わいながら、3周目に向けた伏線も、たくさん張っていけたらいいな。