いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

子供たちよ、今日は思いっきり遊べ

お天道様はきっと今日が何の日か知っているんだろう。

 

彼から発せられる灼熱の光線を浴びながら、私はそのことを確信していた。至る所で木々の葉に反射した光は、さながらスタジアムのスポットライトのようだった。

 

福岡で過ごす最終日の今日は、妻の幼馴染み夫婦と一緒に公園に遊びに行った。結婚前から家族ぐるみの付き合いをしているので、一緒に居てすこぶる居心地が良い。

 

私はここ二日間、妻の実家でリラックスした時間を過ごせていた。近くの公園で遊んだり、ショッピングモールに行ったり、庭でバーベキューをしたり。休み疲れが溜まってきた頃だったので、とても良い休息となった。

 

そして大阪へと帰る本日、友人夫妻と再会したのだ。彼らにも2人の男の子がいるので公園は最適な場所だ。1人は4歳のお兄さん、1人は2歳で娘と同い年だ。

 

テントを張り、お弁当を食べ、あとはひたすら子供達と遊んだ。娘は姉妹もいないし、保育園にも行っていないので、同年代と遊ぶのには飢えていたのだろう。とても嬉しそうに、子供同士で様々なことをして遊んでいた。

 

中でも、その公園のシンボルでもある大きなすべり台(横幅が広く何人もが一緒に滑れる)が一番気に入ったようだ。お兄さんと仲良く手を繋ぎ、何度も何度も、一緒になって、笑い転げながらに滑っていた。

 

お兄さんの方も決して満更ではないようで、愛おしそうに娘の手を引いてくれていた。歩幅も合わないので、何度か娘が引きずられるような場面もあったが、彼なりに娘を気遣い大切に扱おうとしているのが伝わってきた。

 

その不器用で初々しい感じが、見ていてとても微笑ましかった。そして、娘が男の子に大切にされているということに対し、親として心から嬉しく思った。

 

『年上の男の子に手を引かれる娘』、そんなものを見せられた日には腑煮えくり返るかとも思っていたのだが、実際にはそうでもないようだ。

 

案外、娘の恋愛にも寛大な、いいお父さんになれるかもしれない。そんなことを思い、我ながら嬉しくなった。

 

ただ、自分でも薄々は気づいている。

 

そこに『恋心』や『下心』がないとわかっているからこそ、こんなにも冷静でいられるのだということに。

 

あぁ、いつまでも無邪気な君でいておくれ。