いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ダンスレッスン

「ぱぱ、こうやってするの!」

 

また娘のダンスレッスンが始まった。テレビにダンスのあるMVを流すと、娘は私を誘う。そして私が一緒になって踊り出すと、熱のこもった指導を始めるのだ。

 

「こうやって、こうするの!」

 

テレビには、手首を奇妙に曲げ、それをリズムに合わせてくるくると回転させる(私にはそう見える)星野源が映っている。曲のテンポが早いので、娘の指導が追いついていないが、それでも要所要所の場面を切り取り、娘は私にお手本を見せてくれる。

 

私も娘の真似をしてポーズをとるが、手の傾きが足りなかったようで、娘から追加の指導を受けた。曲はもうどんどんと先へと進んでおり、MVはダンスパートが終わり、画面には優雅に寝そべる星野源が映っていた。

 

目線をテレビに戻した娘は、それを見て急いで真似をする。その場にごろんと寝そべるのだ。そして私にも手招きで寝そべるよう指示をだす。「ほら、なにぼーとつったってんの!」とでも言いたげな表情を浮かべていた。

 

それはダンスじゃないんだけどな。私はそう思いながらも娘に従う。テレビを見られるよう少しだけ背中を浮かせていたら、またまた娘から叱られた。「こうするの!」と、しっかり仰向けになるよう言われる。「はい」と言って、私は生徒役を全うした。

 

ちなみにこのような指導は、何もダンスを踊る場面だけではない。おままごとをするときにも、私は同じように娘のレッスンを受ける。また遊び以外の場面でも、妻から何か新しいことを教わるたび、すかさず私に教えてくるのだった。さながら面倒見の良い先輩社員のようだ。

 

そういえば昨日も動物園で、見ず知らずの子に指導じみた言葉を掛けていたっけ。幼稚園でもそのうち、そんな世話焼きな面を出して大人達を戸惑わせるのだろう。その様子を想像すると、少しだけ愉快な気持ちになった。

 

そして私自身、そんな娘からの“指導”を通して、本当に多くのことを学ばせてもらっているのだった。

 

彼女の目を通して“教えて”もらうこの世界は、なんとも新鮮で、キラキラとした輝きに満ちている。