いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

スコココーン

私は決裁説明というのがわりに好きだ。

 

成さねばならぬ目的があり、その為に理屈を積み上げ、決裁権者を納得させ、思惑通りの意思決定をさせる。

 

ようは、ロジックとストーリーだ。

 

私は少し厄介な案件ほどモチベーションがあがる。たとえば、予算がついていない突発的案件を扱うときなどだ。昨日もそのような案件で決裁説明に挑んだ。他の担当で急遽起きた問題を、沈静化するのが目的だった。

 

当然だが、資料作りから勝負ははじまっている。説明の流れを意識し、ページ構成を組み立てる。インプットさせたい情報を精査し、ポイントを強調して書く。相手が思い浮かべるだろう考えは先読みし、ストレスを与えないよう、順序よくその情報を提供していく。

 

そんな資料さえできれば、あとはピシッ、ピシッ、と将棋をさす要領で説明をしていくだけだ。既に勝利へのルートは見えている。資料に散りばめた要所だけは外さずに、効果的な言い回しでもって王将を追い詰めていく。

 

当然、人間相手なので、すべてが計算通りにいくとは限らない。予想外の一手を相手がさしてくることもあるのだ。そんな時は手持ちの駒がものをいう。どんな駒を先んじて準備しておくか、それも重要な要素となる。

 

ちなみに昨日の決裁説明では、一気に2つの案件を済ませた。ひとつめの案件が布石となり、ふたつめは説明終了と同時に即決承認を得た。

 

思い通りの結果がでるのは、やはり気持ちがいい。ボーリングで隅の方に残った2、3本をピンを、狙い通りにスコココーンと、すべて倒せたときのような快感だ。

 

それが今回のように、第一投は別の人が投げていて、それを華麗なるスペアで帳消しにできたとあらば、その気持ちよさは格別であろう。私は高い満足感を得ていた。

 

私のように、手に職といえるような技術もなく、専門性にも乏しい人間にとっては、このようなコンセプチュアルスキルのみを武器に、戦っていくほか道はない。

 

ただ、そんなある意味“丸腰”の、心もとない戦い方が、私の性には合っていて、案外、嫌いでもないのだ。