いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ささやかなるヒント

まるで盆と正月が一緒に来たかのようだった。

 

そのときの娘の表情だ。彼女は嬉しさを抑えきれないようにはにかみ、その興奮から頬を赤く染め上げていた。

 

なにも特別なことをしたわけではない。ブロックを手に遊ぼうとする娘の前に、私と妻がふたり揃って座っただけだ。娘は、家族三人、みんなで一緒に遊ぶとき、ほんとうに嬉しそうな顔をしてくれる。

 

平日の日中は妻と二人っきりだし、平日の夜や休日は、私と娘の二人で遊ぶことが多い。もちろん、そのときもとても嬉しそうにはしてくれるのだが、私と妻、ふたりが揃ったときの表情とは比べものにならない。

 

「パパだけでも嬉しいのに、ママも一緒になって遊んでくれるなんて!」そんな心の声がひしひしと伝わってくるようだ。「なんて日だ!」と、喜びのあまり叫び出すのではないかと思うほど、嬉しさを漲らせてくれる。

 

そんなとき娘は興奮して、「ぱぱはこれして」、「ままはこれだよ」と意気揚々とふたりに指示を出し始める。そして自分もいつも以上の意気込みで遊び始めるのだ。

 

昨日は皆でブロック遊びをしたのだが、気合いが入りすぎた娘は、凄まじい集中力を発揮し、これまでには見たことのないような傑作を作り上げていた。

 

そんなに喜んでくれるので、いつも三人で遊んであげたいのは山々なのだが、実際はそうとばかりはいかない。平日だと、私が娘と遊んでいる間に妻が残りの家事を済ませるし、休日だと、長期戦になるので妻とかわりばんこで娘と向き合うことが多いのだ。

 

でも皆で遊んだときの娘の嬉しそうな表情を見るたび、もっと家族三人でひとつのことをする時間も作ってあげよう、そう強く思うのだった。パパにもママにも同時に相手してもらえる、思えば、そんな“贅沢”は、子供が1人のときにしか味わわせてあげられないことなのだ。

 

このまえの休みの日、ひょんなことから「○○ちゃんは、パパのこと好き?」という女々しい質問を娘に投げかけた。そのとき娘は「○○ちゃんはぁ・・・」と少し言葉を探すような素振りをみせ、のちにこう答えた。

 

「ぱぱと、ままと、○○ちゃんがすきー!」

 

幸せな日々のヒントが、この言葉には詰まっている。