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文学パパが綴るかけがえのない日常

何様

朝井リョウの『何様』を読了した。
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著者の作品を読むのは、直木賞受賞作の『何者』以来、これで2冊目である。本著はそのアナザーストーリーが収録されていると聞き、手に取り読んでみた。

 

ちょうどこの前まで、重ための純文学作品を読んでいたので、箸休め的にライトな本が読みたい気分だったのだ。結果として、私が期待していた通り、さらりとした読み心地が味わえた。

 

読み始めこそ、著者の特徴のひとつでもある“若者たちのリアルな会話”描写に辟易とした気持ちになったが、それにも慣れてくると、あとは軽快なテンポで読み進めることができた。

 

ほんと朝井リョウは器用な作家だよなぁ、それが読了後に私が抱いた感想だ。自分が世間から何を求められており、自分には何が書けるのか、そのことをしっかりと自覚し、受け入れた上で書いている。

 

以前、彼は何かのインタビューで「自分はエンタメ作家として求められているので」というようなことを言っていた。とても潔い発言だったので、印象に残っている。

 

謂わば彼は、自分の書きたい「作品」に拘るのではなく、求められている「商品」を生み続けていくだけの覚悟があるのだ。彼の小説にでてくる若者たちと同様、なんともドライで現実的な考え方だが、私はそのプロとしてのあり方に、一種の感銘を受けた。

 

本作でも、著者のその“美点”は顕著に表れている。大ヒットした代表作『何者』、そのファンたちが再び同じ世界に浸れるような、読み返すきっかけを与えるような本。まさにその狙い通りの効用をこの本は果たすだろう。そして私のように、狙い通りの層が手に取るのだ。

 

彼は今作でも『センター前ヒット』を狙って、しっかりと『センター前ヒット』を打っている。多くの若手作家たちのように、『ホームラン』を狙った結果『センター前ヒット』や『凡打』になっているわけではないのだ。

 

その点こそが、私が朝井リョウに底知れぬ器用さを感じ、期待感を抱いてしまう所以なのである。

 

きっと彼は理解している。そうやって、ヒット「商品」を重ね、作家としての地盤を固める重要性を。そうすることで、本当に書きたい「作品」を書けるチャンスも、いずれは手に入れることができるということを。

 

私は彼がいずれ書くであろう、そんな「作品」を読むのを楽しみにしている。人気作家としての基盤は既に充分なので、そろそろ出るのではないだろうか。(それこそが、本作中の言葉を借りるところの、朝井リョウ自身の「本気の1秒」に違いない)

 

さて、最後に今作の内容についても少し話そう。短編集となっているが、1話目の『水曜日の南階段はきれい』が最も印象的だった。短篇のお手本とも言えるぐらい、巧みな構成でつくられている。優等生的な物語だ。

 

私は『何者』の登場人物たちをほとんど覚えていなかったのだが、それでもどの話も問題なく楽しめた。『何者』を読んでいれば話のリンクも面白いのだが、たとえ読んでいなくてもなんら不都合はないだろう。

 

一読者の分際で偉そうに語ってしまったが、この本のタイトルにも即していることなのでご理解いただきたい。いずれにせよ、朝井リョウは今後も気になる存在だ。