いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

やりすぎの境界線

娘とはよく人形遊びをする。

 

そこは想像力がものを言う世界だ。次々と新たな設定や物語を吹き込み、その場のやりとりに展開を生み出す。

 

当然ある程度のリアリティは必要となってくるし、同時に、わくわくするような突飛な発想も重要となる。

 

昨日はレゴブロックの人形たちで遊んでいた。娘が女の子をもち、私が男の子をもった。「こんにちは、わたしはチョウチョちゃんだよー」という自己紹介から始まり、私たちは食料を探しに冒険の旅にでることにした。

 

すいすい飛ぶように走るチョウチョちゃん。男の子のクルマくんは、息を弾ませながらそれに付いていく。チョウチョちゃんはそびえ立つキッチン山の上に食料を見つけ、ひょい、ひょい、ひょいと崖を登っていった。

 

残されたクルマ君は困った。自分にはとうていこの崖を登ることなんてできない。うーん、うーんと悩んでいると、それを見かねたチョウチョちゃんが、山からピヨーンと飛び降りて、助けにきてくれた。

 

「こうやって、こうやるんだよ」

 

チョウチョちゃんは超人的な跳躍力で、崖の突起に足をかけながら、3度の連続ジャンプのみでふたたび登って見せた。こうやるんだよ、と言われても、クルマくんにはそんなジャンプ力は具わっていない。

 

困り果てたクルマくん。ただ、人は追い込まれたときにこそ、真価を発揮する。クルマくんは、湧き上がる力を全身で感じながら「あ~~~」と力を込めて叫んだ。

 

すると、クルマくんの身体が宙にふわりと浮かんだ。そう、クルマくんには空中浮遊の超能力があったのだ!彼はパワーブースターを起動させ、更なる加速へと・・

 

「ぱぱ、あ~~~じゃないから、こうだよ」

 

娘に怒られてしまった。その設定は流石にやり過ぎだったようだ。私は渾身のアイデアを冷静にいなされ、ものすごく恥ずかしい気持ちになった。その様子を見ていた妻は、私の心中を察してか、大笑いしていた。

 

人形遊びは難しい。あくまでリアリティと想像のバランスが大切なのだ。超人ジャンプはオッケーだけど、空中浮遊はやり過ぎ。確かに、言われてみればそうかもな。