いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

パンツを履いたおねえさん

長く険しいと覚悟した旅路は、わずか数日で終わった。

 

トイレトレーニングの話である。先週末から本格的に始動し、その先の見えなさに絶望感すら抱いていたのだが、ふたを開けてみれば、これ以上ないほどスムーズにことが運んだ。

 

レーニングを開始した3日後には、娘自らで便器に座り、用を足すことができるようになった。私もこの休日を使い、改めてその成果を自分の目でも確認した。

 

尿意を催すと、彼女は「といれいきたい」と宣言をする。そして自らでズボンとパンツを脱ぎ、その状態でトイレへと向かう。電気をつけ、足場をよじ登り(妻が娘のために買った)、バランスを取りながら便座に座る。

 

私や妻もその様子を見に行くのだが、彼女は私たちが視界に入ることを嫌う。「あっちでまってて」と言うので、私たちはドアを半分閉め、その影に隠れて耳を澄ます。成功を告げる“滴り音”が聞こえ、扉を開けると、そこには得意げな笑みを浮かべた娘が待っているのだ。

 

彼女はトイレットペーパーを引きちぎり、役目を終えたその紙を流すところまでを自らで遂行する。なかなかに所作が大人びていて、思わず感心してしまった。

 

今も外出するとき、夜寝るときはオムツを履かせているが、それも時間の問題だろう。大きい用については、オムツを履かせてやらせている。妻の話だと、それをトイレでできるようになるには、少し期間が必要らしい。

 

なんにせよ、思いのほか娘のトイレ習得が早くてびっくりした。妻の教え方(叱り方やご褒美の与え方)も上手だったのだろうが、なにより驚くべきは子供の覚える力だろう。本当に大したものだなと思った。

 

またひとつ、娘がおねえさんになった。もちろんとても嬉しいのだが、オムツ替えできるのもあと僅かなのかと思うと、少しだけ、寂しい気持ちにもさせられた。