いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

澄んだ瞳

今日はほぼ家の中で1日を過ごした。

 

そのぶん娘とゆっくりと過ごせて、改めてその可愛さをたっぷりと堪能できた(親バカ)。お喋りな娘は、とにかく私たちにたくさん話しかけてくれる。遊びの提案、おもしろ発見の共有、思いついたことの報告などなど。

 

彼女の目はとにかく澄んでいて、そこには一切の邪心が見受けられない。子供なので当たり前なのだが、改めてその真っ直ぐな瞳を見ていると、心が洗われる気持ちになった。無邪気な生き物に接するのは清々しいものだ。

 

私と娘が遊んでいる間、妻は家の整理をしてくれていた。その作業の中で、私の古い雑貨がいくつか発見された。掘り出し物のひとつはデジカメだった。昔、友人の結婚式、二次会ビンゴの景品で貰ったものだ。

 

私はそのカメラを娘にあげることにした。娘の小さな手には少し大きなサイズだったが、主なボタン操作を教えると、娘はひとり器用に操作をしはじめた。

 

娘はあらゆるものを被写体に、思うがままに写真を撮り始めた。そのほとんどはブレ、そのいくつかには自分の指が映り込んでいた。しかしそこには子供ならではの味があり、なにより娘はとても楽しそうだった。

 

テレビにカメラを向け、思う場面をうまく切り取れると、嬉しそうに私たちに見せに来た。まったくデジタル世代だなぁとは思いつつも、もう娘のカメラなのだから、好きなものを撮りたいだけ撮れば良い。

 

昔のフィルムカメラだったらこうはいかなかったよなぁ。娘もそのうち自撮りとかしだすのかなぁ。でてくる感想はおじさんのものばかりだった。それでも、その澄んだ瞳に映る世界を、もっと共有して欲しいなと思う。