いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ケンブリッジ・サーカス

柴田元幸の「ケンブリッジ・サーカス」を読了した。
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柴田元幸は私が一番好きな翻訳家だ。偏愛する作家ポール・オースター作品の和訳を手がけており、私もそこで彼のことを知った。

 

とにかく彼の翻訳は見事だと思う。大学生のころ、ある作品の原文と柴田の日本語訳とを見比べてみたことがあったのだが、とても自然な形でリズムや味わいを損なうことなく翻訳されており、いたく感銘を受けた。

 

本作は、そんな私が尊敬してやまない翻訳家が書いたエッセイ(?)集だ。あえて(?)をつけたのは、普通のエッセイとはだいぶ異なる様相を呈しているからだ。

 

どの話においても、あたかも自分の人生や記憶を振り返るような書き出しではじまるのだが、途中でふいに幽霊があらわれたり、過去の自分と遭遇したり、時空がねじれたり、とエキセントリックな展開がされていくのだ。

 

そのことについて柴田は特に作中で補足を加えない。あくまで体験記として、普通のことでしょ、というスタンスで淡々と書き進めていくのだ。

 

そのため、私ははじめ読んでいてとても混乱した。その奇妙な筋立てになかなかついていけなかったのである。

 

しかし読み進めていくうちに、読んでいる側も徐々にそのことを受け入れ始める。柴田は本当に普段から幽霊が見えたり、過去の自分と会話できたりする人なんだろうな、という事を納得するまでに至るのだ。

 

そしてどこまでが妄想で、どこからが現実の話なんだろう、なんて楽しい想像を膨らませながら、最後まで読み終えることができた。これまで得たことのない新鮮な読書体験だった。

 

だいぶ前にはなるが、柴田のエッセイ「生半可な學者」という本も読んだのだが、そちらは正統派のエッセイだった。その本もたいへん面白かったのだが、今作もまた違う意味で楽しむことができた。

 

読み終えた今、柴田元幸に対する印象がだいぶ変わったことに気づく。なんてお茶目で愛くるしい人なんだろう。そんなふうに、単純なる「尊敬」から「敬愛」に近い感情を寄せるまでになった。

 

彼は東京大学で名誉教授をしている。一度でいいので彼の講義を受けてみたかったなと心底思う。残念ながら彼を知ったのは私が大学に入ってからのことだった。もしもっと前に彼を知れていたら、本気で東大を目指すこともしていたかもしれない。

 

さて、そんなわけで楽しく本書を読み終えた。とても風変わりな本なので読む人は選ぶかとは思うが、柴田元幸という人物に興味がある人なら、楽しめる作品ではないかなと思う。

 

最近、以前にも増して読書欲が高まっている。おそらくここで文章を書くようになったことも理由としては大きいだろう。

 

今はまた別の小説を読み進めているのだが、先日お亡くなりになられた、さくらももこのエッセイや漫画も読んでみたい気持ちがある。なんにせよ、しばらくは読むものに困ることはなさそうだ。

 

本は世の中に無限にある。そのため、読み終える、ということが永遠にないのが魅力のひとつだ。今のこの心地よいリズムを維持しながら、愉しい読書ライフを満喫していきたい。