いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

赤・青・緑・黄・白

最近娘が色を覚えた。少なくとも、タイトルに書いた色たちはしっかりと使いこなせている。

 

娘は物の覚えが早かった分、色を覚えるのには少しだけ苦労した印象を受けた。

 

確かに、考えてみれば“色”という概念を理解するのはなかなか難しいことだ。先に“物”という概念がある分、どうしてもそれが邪魔をする。

 

たとえば“赤”を教えるために赤いボールを指さすのだが、娘からすればそれが“ボール”だと覚えているので、なぜ“赤”というなぞの言葉をパパが言うのか、さぞかし不思議に思ったに違いない。

 

“物”の概念はそれぞれ形が違うのである意味わかりやすいだろう。でも“色”という概念は、それ自体を言葉にするのも難しい。

 

今この文章を書きながら気になってしまったので、愛用している辞書(三省堂国語辞典)で“いろ”という項目を引いてみた。そこにはこのように書いてある。

 

ものの表面から目に感じる、形以外のもの。

 

やはり難しい。娘が100%言葉を理解できるとしても、その説明を受けただけでは頭をかしげたに違いない。

 

それでも私たちは根気よく娘に色を教えていった。「これは赤のボール、これは青のボール」「この風船は赤、こっちは白」というように。

 

そして最近、ついに娘が色を識別できるようになったのである。自分たちの教え方が良かったとは決して思えないので、子どもというものの凄さを改めて実感している次第である。

 

同じものに対して“物”としてはこっちの呼び方、“色”としてはこっちの言い方、という2層的な構造を理解できたというわけだ。

 

でも考えてみれば、まだまだ“形”や“大きさ”、ほかにも“固さ”や“質感”など、同じものに対する言い方はこれから何パターンにも増えていくだろう。

 

子どもはよくぞこんな難しい概念を理解していけるものだ。教える側になって改めて、その難しさを理解し、驚嘆してしまう。

 

娘よ、まだまだ先は長そうだが、頑張れ。

 

でも“色”を理解できた君なら、きっとできるよ。