いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

シャボン玉とどんぐり

昨日は鶴見緑地公園に娘を連れて行った。これまでにも何度か訪れているお気に入りの大きな公園だ。

 

公園に到着すると娘は駆けだした。向かった先には小さな子ども用遊具がある。遊具自体にあまり高さがないため、もし落下しても大事には至らない安心感があった。

 

私と妻はベンチに座り、試しに娘ひとりで遊ばせてみることにした。これまではどちらかが付き添うようにしていたので、初めての試みだった。娘と私たちの距離はだいたい10mくらい離れている。

 

娘は私たちがいなくても、恐れることなく遊具に登り、ひとりですべり台を滑った。地面に着地すると、その場でぴょんぴょんと飛び跳ね、「やったー」という声を私たちもとまで届かせた。

 

娘が嬉しそうにこちらを見るので、私たちは「見てたよー」と大きく手を振った。娘は手を元気に振り返し、嬉しそうに笑っていた。

 

その後も、娘はその遊具でひとり長いこと遊んでいた。すべり台を滑るたび喜びを表現し、そのうち何回かは跳ねるように私たちのもとへと駆け寄ってきた。

 

そんな娘の様子を、私たちもとても安心して見守ることができた。これくらいの遊具ならもうひとりでも遊ばせられるんだな、と感慨深い気持ちになった。

 

しばらくすると、娘は遊具以外のところを探索し始めた。いかんせん公園は広いので、どこまででも歩いて行ける。私は娘の後ろについて回った。娘は幅の広い階段を上り下りしたり、岩の上によじ登ったりして思うがままに冒険をしていた。

 

途中、どんぐりが大量に落ちているところがあった。娘は「あ、どんぐり!」と叫び、その場にしゃがみ込んだ。大好きなトトロの映画でどんぐりのことは知っているのだ。

 

娘は一生懸命どんぐりを拾い始めた。そして私に両手でお椀をつくらせ、そこに乗り切れないほど大量のどんぐりを積み上げて遊んでいた。

 

その後、少し大きい子ども用の遊具へと移動した。ここの遊具はなかなか高さがあり、遊んでいる子ども達も激しかった。その為ここにおいては私と妻が補助をしながら遊ばせることにした。

 

他の子ども達にも果敢に話しかけ、一緒に遊ぼうと試みる娘が健気で可愛かった。そんな様子を見るたび、早く友達や姉妹と一緒に連れてきてあげたいな、という感情を抱いてしまう。

 

しばらく遊んでいると少しぼーっとしてきたので、おやつタイムをとることにした。近くにあった石造りのベンチに座り、私たちはそれぞれにおやつを食べた。

 

それらを食べ終わると、妻の提案でシャボン玉をすることに。娘は以前よりもシャボン玉に強く感心をしめし、目を輝かせながら風に舞う泡たちを追いかけていた。

 

そして「○○ちゃん、やる」と言って、ストローを吹くことにも挑戦。いくつかの小さなシャボン玉をつくることに成功した。

 

そんなふうに、数時間のみの滞在だったが、はしばしで娘の成長を感じられるひとときだった。なにより、娘はとても活き活きとしており、本当に楽しそうだった。

 

帰り道、娘は自転車のチャイルドシートの中で眠った。そんな姿を眺めながら妻と笑顔を交わす。

 

楽しい一日だった。娘もそう思っているだろう。そのように感じられるのが何よりも嬉しかった。