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文学パパが綴るかけがえのない日常

インヴィジブル

ポール・オースター著『インヴィジブル』を読了した。
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9月末に発売された新作。久しぶりにオースター小説を読んだが、やはり私は彼の文章の、物語の、虜である。

 

これからも「好きな作家は誰?」と問われれば、「ポール・オースター」と応えよう、そんな決意を改めて胸に刻むこととなった。

 

事実、新刊がでるたびに毎回、文庫版を待たずにハードカバーで買ってしまう作家は、今の私においてはポール・オースターだけである。

 

文章が流麗で、物語が面白い。小説家にこれ以上何を求めよう?

 

さて今作では、オースターが新境地を拓く新しい試みをしている。複数視点による、多重的な物語形成だ。

 

アダム・ウォーカーが晩年に書いた「1967年の回想録」、それが物語のキーとなる。そしてそれを手にした古い友人ジムの行動と考察。その時代をアダムと共に過ごしたセシル・ジュアンの日記。これらが絡み合い、物語の全体像が徐々に浮かび上がってくる。

 

しかし浮き上がる物語はいずれも確証性に乏しく、いたるところに真偽の疑念が残る。まさに本書のタイトル『インヴィジブル(不可視)』を体現しているのだ。

 

それにしても物語の構成が見事だ。

 

地の文だと思い読み進めた章が実は「回想録」の文章だと後で明かされたり、「回想録」のメモ書きが登場したり、次の章では今語られたばかりのことが当事者によって否定されたり、別視点での日記が出てきたり。

 

新しいアプローチを取り入れているが、もちろんただの“実験作”にはしていない。しっかり小説として「面白い」のである。私は取り憑かれたようにページをめくってしまった。

 

文章ももちろん洗練されている。音楽を奏でるように美しいリズム。情景を浮かびあがらせる鮮やかな比喩。柴田元幸の訳も、今作もお見事としか言いようがない。

 

とにかく、とても大満足な作品だった。既にアメリカで発表されている新作たちも早く日本語で読みたいものである。柴田さん、何卒よろしくお願いします。