いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

蜜蜂と遠雷

恩田陸の『蜜蜂と遠雷』を読了した。
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本が特別好きではない、うちの母親が絶賛していた本だ。そうでなくても『直木賞』と『本屋大賞』を初めてダブル受賞した作品、と聞けば興味を引かれないわけがないだろう。ずっと待ち望んでいた文庫化が先日されたので、さっそく買って読んでみた。

 

読み始めてすぐに感じたが、とにかく面白い。結局、最後まで駆け抜けるように読んでしまった。これぞエンターテイメント。最初から映画化が決まっていたかのように、頭の中にカット割り含めた映像が浮かんできた。

 

そもそも『直木賞』と『本屋大賞』という、プロ・アマが選ぶ両方の賞をとったほどだ。読む上での間口は広く、読み浸れるだけの奥行きも兼ね備えている。

 

クラシックの演奏を文章で表現しながら、ピアノコンクールを最初から最後まで描ききる。そのような困難なテーマに挑み、これほどまでに多くの人を惹きつけるエンターテイメントに仕上げた恩田陸の手腕には脱帽だ。

 

さぞ全方面から大絶賛されているんだろうなと、何気なしにAmazonレビューを眺めてみたのだが、予想通り大多数は賞賛していたものの、中には叩いている人も一定数いたので、とても驚いてしまった。

 

表現がくどい、文章が稚拙、同じ場面の繰り返し、受賞に値しない、物語がご都合主義、クラシックをわかっていない、漫画○○の劣化版・・・などなど。

 

こんな凄い作品を書いてもこのように言われてしまうのか。それなら万人受けする作品なんてのは、やはり絶対に生まれないんだろうなぁ、と、改めてそんなことを考えてしまった。

 

上記に書いたような批判に対し、一読者である私ですら「こうだから、敢えてこうしてるのでは?」と反論を返せるくらいだ。作者からしたら尚更そうだろう。有名な賞を取るのも考えものだな、と思わず感じてしまった。

 

私が今作で最も感銘を受けたのは、音楽を文章だけで表現してみよう、というその熱い心意気である。

 

そしてそれを地の文ではなく、登場人物たちの心情描写として描くことで、若い彼らが用いるありふれた言語だけで普遍的なイメージを膨らませ、読者の読むリズムを崩さぬよう、実際に聴く音楽の疾走感を感じられるよう、工夫して書かれているのである。

 

確かに、少しは人を選ぶ作品なのかもしれない。ただ少なくとも、文章の表現に興味があり、物事を抽象的イメージで捉える傾向の人なら、楽しめる作品だと思う。

 

私も文章を書く端くれとして、いつかこの手法を使って何かを書いてみたい、と思わされてしまった。まだその為の実力は足りないが、できたならばさぞ楽しかろう。

 

案の定、と言うべきか、やはりこの作品は映画化が決まっている。今年の秋に公開。実際に音が鳴るのでどんな風になるかはわからないが、とにかく楽しみである。

 

なんにせよ、ワクワクさせられっぱなしの読書体験だった。これからも多くの読者を獲得していくことだろう。