いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

たこ焼きパーティー

その響きだけで、楽しげな想像がかき立てられる。

 

妻の提案により昨夜はそれを開催した。パーティといっても参加者は家族3人だけ、だがそこにたこ焼きがあれば充分だろう。しかもここはホーム、大阪なのだから。

 

たこ焼きを自宅で作るのはとても久しぶりのことだった。前回は娘が生まれる前だったはずだ。少なくとも、妻と二人だけでたこ焼き器を囲んでいた記憶がある。

 

そのとき、私がたこ焼き粉と水分の比率を大いに間違え、とても“水々しい”たこ焼きを食べる羽目になったことを覚えている。それに懲りて、以降しばらくは、タコパを開催する気持ちになれなかったのだ。

 

昨夜も、またそのときの記憶が蘇ってきたので、たこ焼き粉に水を加える作業はすべて妻に一任した。あの悲劇を二度は繰り返してはいけない。妻も同じ考えなのか、文句を言わず、黙ってその役を買って出てくれた。

 

なにより今回は娘の“タコパデビュー戦”だ。その出来如何では、タコパに対して悪い印象を植え付けかねない。お腹を壊させてしまうリスクもあるし、焼き手として私は、いつも以上に責任を感じていた。

 

我が家の機器は、鍋などにも使える万能ホットプレートの上に、たこ焼き器型のプレートを置くタイプのものだ。それゆえなのか、加熱が若干頼りない。1回焼き上がるのに長い時間が必要だし、できあがりもいまいちだ。まぁ、私の焼き技術にも問題があるのだろうが。

 

たこ焼きを自分で作るとそのたび思うが、外で売られているたこ焼きは本当に美しい。いつも買うときは「8個でこんなに高いのか。原価考えたらぼったくりだろ!」と内心思ってしまうのだが、それは大きな間違いだ。

 

あの値段は、売り物にできるほど“美しく旨い”たこ焼きを作る、設備や技術、その労力への対価なのだ。そう思うと、あの値段は決して高いとは思わない。自らで作ってみると、心からそう思えてくるのだった。

 

さて、私のたこ焼きも、形は不細工だがなんとか完成した。空腹という最高の調味料にも助けられ、妻も美味しいと言い、娘も5つばかりを食べてくれた。

 

たこの他にも、もちやチーズ、てんかす、ベビースター等、いろんなものを入れて味わった。私はそのほとんどを和風だしに漬けて食べた。たこ焼き粉自体も風味の良い出汁が利いていたので、相性は抜群に感じられた。

 

結局、1回20個を計4回焼き、そのいくつかにはラップをかけ、翌日へと持ち越した。私も妻もたこ焼きだけで満腹になっていた。娘も満足したのか、食べてからしばらくすると、リビングにいながら寝落ちした。

 

久しぶりで新鮮だったし、味もまぁ美味しかった。今回のパーティは成功と言っても良いのではないだろうか。そんなに間を開けず、また開催したいなと思っている。


そして妻と話をしていて、数年ぶりに、新大阪にある私たちお気に入りのたこ焼き店にも行ってみたくなった。プロの味を、改めて堪能してみたくなったのだ。

 

その店のたこ焼きを思い浮かべると、今食べたばかりだというのにすぐにでも食べたい気持ちになった。そこにたこ焼きがある限り、私たちのパーティは終わらない。