いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

妻ッサージ

妻が香りよいアロマオイルを買ってきた。

 

ママ友と買い物に出かけ、その際にお揃いで買ったらしい。残業帰りの私は、食事を食べながら、妻のうれしそうな報告話に耳を傾けた。他にも可愛らしい室内履き等も買えたようで、見るからにご機嫌な様子だった。

 

その前日、私の不注意な発言から妻を不機嫌にさせていたのだが、一日中友人と楽しく買い物ができたことで、すっかり気分転換ができたようだ。ありがたいなと友人に感謝をしつつ、私は食後、ひとりシャワーを浴びた。

 

浴室から出てリビングへと戻ると、妻がぱたぱたと近づいてきた。手には例のアロマオイルを持っている。聞くと、私の手をオイルマッサージしてくれると言うのだ。

 

普段はどちらかと言うと、妻がマッサージを頼む側だ。よく彼女の肩をもんだり、背中を押したりということをしている。そんな妻がマッサージをしてくれると言うので、内心とても驚いてしまった。

 

そしてオイルマッサージをあまり知らなかった私は、シャワーでさっぱりした手がオイルでびちゃびちゃになるのではないかと、少しだけ不審感を抱いていた。

 

ただ、そんなことは一切言わず、妻に手を預けた。妻は手首の下に丸めたタオルを置き、適量のオイルを手に馴染ませ、ソファに座りながらにマッサージを開始した。

 

最初は弱い力で、指の端々から力が加えられていく。オイルからは癒やしの香りが漂い、私はテレビを見ながらも、徐々に意識は妻の方へと傾いていった。

 

なめらかなオイルに導かれ、心地よく滑る妻の指。徐々に圧を高めながら、妻の指がどんどんと私のツボへと近づいていった。その心地よさから、ついつい私も饒舌になり、妻との会話も弾む。きもちたのしい気分の中で、そのマッサージはゆったりと10分ほど続いた。

 

どこまでも続く名残惜しさを帯びながら、左手のマッサージが終了した。私はこれで最後かと、うら悲しい気持ちを抱きながら、残る右手を妻の方へと差し出した。手があと8本くらいあればいいのに、そんな感情を抱いたのは、生まれて初めてのことだった。

 

右手のマッサージも至福のひとときだった。妻に、なぜこんなにも手際がよく、手順も心得ているのか、と聞くと、私がシャワーを浴びている間に動画を見たから、と応えた。どうやら、私の妻は天才だったらしい。

 

私は冗談2割、本気3割、下心5割で、妻のマッサージを言葉の限り称賛した。いろんな香りのオイルを揃えてもいいし、毎日だって私を実験台にしてくれて構わない。なんだったら、技術習得のために、自分もプロのマッサージを受けてきなよ。と、そんな感じだった。

 

でも言葉のとおりだ。現に、妻に紹介したママ友は、昔アロマオイルに凝っていた時期があったらしく、その話を聞いたからか、妻も自身の趣味にすることに、まんざらでもない様子だった。

 

これまでそのママ友は、うちの妻に様々な影響を及ぼしてきた。化粧しかり、音楽しかり。その中でも、今回与えてくれたこの影響は、感謝状を贈呈したいほどに良い影響だった。いいぞ、ないす、もっとやっておくれ。

 

その後、妻のマッサージのさなか、ふたり盛り上がる我々に嫉妬したのか、娘がいそいそと近づいてきて、ふたりに割り込むように、私の首に抱きついてきた。

 

私は愛するふたりの女性に両ばさみにされ、ここがこの世のユートピアか、とひとり感慨に耽りながら、至福の感情に包まれ、その身をただただ委ねていた。

 

そうこうしているうちに、妻のマッサージが終了した。どうやら料金は請求されないらしい。こんな最高なサービスがこの世にあっていいのだろうか。

 

妻はオイルの香りをもっと楽しみたいのか、続けて自分の足にもセルフマッサージをし始めた。私の足を使ってもいいんだよ、とも言いかけたが、汚らしい自分の足をしばし見つめ、暗黙のうちにそれをそっと引っ込めた。

 

これを妻が趣味にしてくれたら、どんなに幸せだろうか。そうも思ったが、趣味なんてものは誰かが強要するものではない。彼女の興味の赴くままに、楽しんでくれたらいいなと思う。

 

そして、ほんとうにたまにでいいので、またこの“妻ッサージ”を、味わわせてもらえたなら最高だ。

 

その香りや手触り。もちろんそれらも気持ちよいのだけど、その最中に妻と向き合い、真正面に交わしたその会話に、なにより私は心癒やされていたのであった。