いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ファシリテーション研修に参加してきた

昨日、一昨日とファシリテーション研修に行ってきた。

 

会議などの場で、皆が納得感をもった結論に辿り着けるよう支援する役割を『ファシリテータ』と呼ぶ。私は所属がら、職場でその立場を担うことが多いので、一度しっかりと基礎を固めておきたいと思ったのだ。

 

しかし結論から言うと、あまり実りの多い研修ではなかった。丸2日間も使って、会社も違う初対面の人達とグループワークをするのだが、かけた時間の割にはリターンが少ないように感じた。

 

そもそも、普段やっている自身のファシリテーションにもある程度の手応えを感じていて、①間違ったやり方をしていないかの確認と、②何か新しい発見はないか、という意気込みで参加したのもよくなかったのだろう。苦手意識を持った経験の浅い人向けの内容が多く感じた。

 

なるほどな、と思ったことを強いてあげるなら、チームにはそれぞれ「フォーミング(形成)」、「ストーミング(衝突)」、「ノーミング(規範)」、「パフォーミング(発揮)」という段階があり、ファシリテータはチームが現在どの段階にあるかで、関わり方を変えるほうがよいという点は、今後頭に留めておこうと思った。

 

次点で言うと、メールでの案内にしろ、会議の冒頭にしろ、チームに向かって「ポジティブな表現」で鼓舞し、参加を促していく、という点も、普段はあまり意識できていないことだった。バリエーションのひとつとして、適宜使っていきたいなと思う。

 

さて、そのように少し期待外れの外部研修だったのだが、予想外の気づきは得ることができた。それは、世の中にはどうやってもファシリテーションが上手くできない人が一定数いる、ということだ。

 

同じように手法を学び、他の人の例も見て、ワーク自体もさほど難しくない内容なのに、それでも順番でやってみると全くできないという人が一定数、それも予想よりも遙かに多数いるのだ。性格によるところも大きいのだろうし、いて当然なのだが、少し驚いてしまった。

 

もしそうならば、「ファシリテーションがどんな場でもできる」ということは、ある程度の武器になるのかもしれない。こんなものはその立場になれば誰でもできることだ、と捉えていた節があるので、もう少しこのスキルを大事に育んでいこう、という気持ちが芽生えた。

 

ちなみに、私がファシリテータを務めたワークでは、その他のメンバからの評価において、20項目全てに○が付き、クラストップの評価をもらうことができた。初対面の人だからこそのやりやすさもあるのだけど、改めて根拠のある手応えを持つことができて良かった。

 

さて、これで現時点で申し込んでいる外部研修は全て修了した。業務を離れて社外の人と接するというのは何かと刺激的なので、機会があれば今後も活用したい。