いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

「その発想はなかった」

人から言われると嬉しい言葉がある。


昨日は仕事でその内のひとつを人から言われた。「その発想はなかった」である。奇抜な発想に対して、半ば冷やかしのようにも使われる言葉ではあるが、今回の場合は、全面的な称賛の意味で使ってもらえた。


その言葉を発した相手は、以前から面識はあるものの腰を据えて話すのは初めてという協業社員の方だった。外部から技術スタッフとして我が社に雇われている方だ。


彼の方から第三者を通じて相談が持ちかけられた。私は時間をとって彼の話を聞くことにした。曰く、要望のあった自動化プログラムを書こうとしているのだが、システム仕様との相性も悪く、うまいこといかないと。かれこれ、この案件で一ヶ月も頭を悩ませているらしい。


彼の辿々しい説明を聞き終え、要点を掴むと、私はまずはシステム開発者に連絡をとった。しかし、彼の期待するような仕様変更は今更できないとの回答をもらった。


そこで、私はプログラムの書き方を工夫する形で、やりたいことを実現する検討へと舵を切った。


目的と状況を加味して、私は次々とアプローチ案を出していった。しかしそれらの案は彼も検討したものばかりだったらしく、それらの問題点をすぐに返してくれた。

 

彼は自分が辿ったジレンマの道を私が追走してきてくれたことが嬉しかったのか、口調は徐々に饒舌で、親しげなものへと変わっていった。少しは気を許してくれたようである。ただ、肝心の打開策は見つけられずにいた。


そこで私は、改めて今回の目的とこれまでに検討したアプローチの問題点を頭の中で整理した。すると、それらを積み上げた先にある、一筋の光明が見つかった。私はとあるシンプルな案を彼に告げた。逆転の発想というほどではないが、これまでにはなかったアプローチだ。


「その発想はなかったです。いけるかもしれません」


彼は折り曲げた指を顎に押し当て、思案する顔を浮かべながらにそう応えた。彼にも私が見た光明が見えたのだろう。私たちはその方向性で更に話を推し進め、そのアプローチをどんどんと具体化していった。


「ほんとうに、ありがとうございました」


帰り際のお礼を聞いて、私は自分の価値を見いだせたような気持ちを覚えた。スキルのない私ができることと言えば「考えること」くらいだ。そんな私にとって、その領域で誰かに貢献できることほど嬉しいことはない。


仕事したな。久々にそんな実感を持つことができた。