いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

自分へのコミットメント

一番好きなことを仕事に出来ている人が羨ましい。

 

最近、そのように強く思うようになった。ひとつのきっかけは、仕事で歳の近いとある先輩と話したことだ。


彼はもともとうちの業界に強い関心をもっており、それゆえに技術に特化した子会社採用で入社した。しかしその溢れんばかりのバイタリティと能力でみるみる昇進を重ね、今年からは私が所属する親会社へと転籍された。

 

彼が凄いのは、その行動力だ。この分野の最先端技術が海外にあると知れば、上司を懐柔し、海外出張を実現させるだけの腕力をもっている。数年前には会社で初めて海外の関連会社へも派遣され、そこで1年間働いた。その活躍のフィールドはグローバルにまで及んでいる。

 

彼と話をしていて、その総合力の高さに敗北感を抱かざるを得なかった。普段の会社においても、特定の能力についてなら感心させられる人はちょくちょくいるのだが、総合力で圧倒されたのは初めてに近い経験だった。

 

なんだか『要領の良さ』と持って生まれた『基礎能力』、それだけで戦える限界を見せつけられたような、そんな気持ちになった。いくらそれらを持っていたとしても、その上更に『興味関心からくるバイタリティ』までを兼ね備えた人には、どうやっても敵うわけがない。


また、最近の好きなドラマたちを見ていても同じ事を思う。ひとつは『グランメゾン東京』の木村拓哉、もうひとつは『まだ結婚できない男』の阿部寛、付け加えるなら『同期のサクラ』の高畑充希

 

三者三様に、自分たちの仕事を心底愛し、人生を賭けるほど懸命に取り組んでいる。その姿はとても美しく、心が揺さぶられる。こういう人達を本当のプロフェッショナルというのだろうな、そんなことを考えさせられる。

 

私は今の仕事にそこまでの情熱を注げているだろうか。答えはノーだ。嫌いでもないが、プライベートを割いてまで熱中できるほどの想いを持てていないのが実情だ。

 

でも、先に述べた先輩と話をしていて、「負けたくない」と感じてしまったのも事実だった。仕事の方はほどほどでいい、そんなふうに普段は考えているのだが、自分の中における矛盾を突きつけられた結果となった。

 

自分の『目標』を改めて定め直さなければなるまい。昨日、友人とのランチの際にもそのような話をしていて、その流れから、来週までに自分自身に対する「コミット表」を作ってみようか、ということとなった。

 

いつまでに何をして、最終的には何を達成するのかの約束。良い機会なので、少し真剣に考えてみようと思う。