いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

シェアする喜び

娘は気前がよい。分け与えることを厭わないのだ。

 

昨夜も、大好きなドラえもんグミを私と妻にひとつずつ分けてくれた。グミは4つ入りなのに、そのうちの2つを私と妻に分けてくれるのだ。私は遠慮したのだが、娘が笑顔で差し出し続けるので結局受け取ってしまった。

 

しかも昨夜はそのグミにありつけるまで娘は苦労した。昼食は食べきれなかったため、おやつを食べる許可はもらえず、夕食も苦戦したため、別メニューを急遽設け、それを食べきったことで“お情け”でよしとされた。

 

そのようにしてやっと手に入れたグミを、娘は惜しむことなく私たちに分け与えてくれたのだ。なんとも気前がよい子だろう。私は小さな感動を覚えていた。

 

「グミありがとう。嬉しいよ」

 

食べ終えた後、私は娘をぎゅっと抱きしめて、しっかりとお礼を言った。すると娘は、聖母のような暖かな微笑みを浮かべ、私を抱き返しながらこう言うのであった。

 

「◯◯ちゃんも、うれしいよ」

 

娘はこの歳で、シェアする喜びを知っていた。美味しいものを自分ひとりで食べてしまうのではなく、好きな人たちと分け合いたい。だってその方が何倍も幸せになるから。そんなことを娘から教えてもらった気になった。

 

私は自分の身を振り返って恥ずかしくなった。夕食で皆でつつくような大皿がでると、誰かと争うように肉を奪取する私。そのような常習犯のため、昨夜のすき焼きでは、妻による厳正なる取り分けがなされた所であった。

 

私は食い意地のはった、なんて卑しい男なんだ。娘の暖かいシェア精神にふれ、私は親としての立場がなかった。娘を見習わなければ。でも・・・肉は食べたいな。