いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

マイ・ロスト・シティ

スコット・フィッツジェラルドの『マイ・ロスト・シティ』を読了した。訳者は村上春樹だ。
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村上が翻訳した初めての作品としても知られている。この前に同時代の作家ヘミングウェイの作品を読んだことで、あらためて比較対象としてフィッツジェラルド作品が読みたくなり、この書を手に取った。

 

彼の作品を読むのはこれで3作目である(他2作は『グレート・ギャッツビー』と『冬の夢』)。ヘミングウェイの淡泊な文章を読んだ後だと、その繊細で煌びやかな名文調がより鮮明に瑞々しく感じられた。

 

このふたりの作家はよく比較され、時代によってその評価も変化してきたのだが、やはり面白いほどに対照的だ。タイプが違うため、どちらが優れているといった評価は難しいのだが、どちらが好きかと問われれば、私はやはりフィッツジェラルドの方をあげる。

 

ヘミングウェイの文章はシンプルがゆえに、1文取り出してみただけではその凄さが伝わりにくい。あくまで文章全体の組み合わせを見て、そこに「書かれているもの」と「書かれていないもの」を把握した上で、ようやく理解することができる偉大さなのだ。

 

しかしフィッツジェラルドは違う。ただの1文だけを抜き出しても、その類い稀なき才能を肌で感じることができる。文章を書くことを志す者のひとりとして、そこに憧れを禁じ得ない。

 

物語のプロットや扱われるテーマは凡庸であると言ってもよい。ただ、彼の優れた文章力をもってすれば、どんなにありふれた物語だって、華麗なるものへと変貌するのだ。それがフィッツジェラルド印の作品であり、彼にしか使えない魔法なのである。

 

この短編集に収録された物語たちも、どれもが魅力的だった。そこまで深い余韻が得られるというわけではないのだが、読んでいる最中には、その美しい文章を辿る喜びにどこまでも酔いしれることができる。

 

この本を読んだことで決心した。フィッツジェラルドの作品を(少なくとも村上訳は)すべて読み尽くそうと。

 

私の中での四大作家(村上春樹ポール・オースターカズオ・イシグロレイモンド・チャンドラー)に割って入りうる、5人目の好きな作家となる予感がある。

 

残りの作品を読むのもとても楽しみである。少しずつ、彼の文章を紐解いて、その魅力に迫っていきたい。