いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

愛について語るときに我々の語ること

レイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』を再読した。訳者は村上春樹である。
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この前に読んだ『ファイアズ(炎)』に続き、間髪入れずに読んだ。私の中でカーヴァー熱が上がっているのだ。出版の順番としては、今回の『愛について~』方が『ファイアズ』よりもひとつ前に出た作品である。

 

数年ぶりに読んだが、やはり良い作品だ。その間私も多くの文学作品に触れてきたことで、その良さがよりわかるようになった。17篇のショートストーリーたちが収録されているが、どれもキラリと光る何かがある。

 

この作品でカーヴァーは、物語のテンションを高めるため、大胆なまでに『話を切り詰めて書く』手法をとっている。いくつかの短編は、他の短編集でも登場する物語の“改編版”なのだが、どれもより短く刈り込まれており、そこから受ける印象もだいぶ異なっている。

 

切れ味抜群の展開と、インパクトを残すラスト。発売当時は文学ファンたちの間でカルト的な人気を博したとのことだ。たしかに読んでいて面白いし、印象にも残る。

 

ただ、個人的な好みの話をすると、私はもう少しだけストーリーテリングの息が長く、読んだ後に「じんわりと余韻が広がる」ような作風をより好んでいる。

 

嬉しいことに、カーヴァーはこの作品以降そのような作風へと移行していく。そのためこの前読んだ『ファイアズ』や、この次に再読しようとしている『大聖堂』での書き方のほうが、私的にはより合っているのである。

 

とはいえ、やはりこの作品もカーヴァーの代表作のひとつなだけあって、再読の価値はあった。どの話も好きだが、その中でも一篇を挙げるのであれば、表題作の『愛について語るときに我々の語ること』になるだろう。

 

この作品の中で最も「切り詰めて書かれた」印象が少なく、また話の展開や余韻の残し方についても私好きする作品である。解説にも書かれていたが、この一篇だけは、後期の作品に収録されたほうがよいように思えた。


本作を読んでカーヴァー熱は更に高まった。次は最高傑作とも名高い『大聖堂』を再読しようと思っている。