レイモンド・カーヴァーの『大聖堂』を再読した。
これまでに3回ほど読み返したが、やはり素晴らしい短編集だ。訳者の村上春樹にも、本作は「カーヴァーの最高傑作」だと称されている。
読んでいて感じるのは、小説たちがどれも堂々としているということだ。日常の何気ない描写からはじまり、ささやかな展開がもたらされる話が多いのだが、そこには文学作品としての『悠然とした佇まい』が感じられる。
それゆえに読者も安心して物語に身を委ねることができる。「静かな導入だけど、きっと面白くなるのだろう」「読んでがっかりさせられることはないだろう」。そんな信頼を寄せながら、読み進めることができるのだ。
また今回私は、『愛について語るときに我々の語ること』『ファイアズ(炎)』という、本作よりも前に書かれた作品たちから続けて読んだことで、カーヴァー作風の変遷もありありと実感することができた。
「物語の切れ味」だけで勝負していた前期を経て、後期のカーヴァーはより人間と向き合うことで、物語に深みと説得力を宿らせている。即物的な描写で淡々と語っていくのだが、行間には人の温もりが感じられるのだ。
ヘミングウェイが開発した手法が、カーヴァーの手によってもう一歩前へ推し進められたという印象を受けた。個人的にも理想とする文学にとても近い。しおらしく書かなくたって、読者には感動を与えられる。そこに押しつけがましさがないところが、最高にクールなのだ。
本作は今後も何度だって手に取り、読み返すだろう。