いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

ファンタジスタ

娘はファンタジスタだなあと、改めて思った。

 

ファンタジスタとは、独創性に富んだプレーで人々を魅了する選手を称する際に、よく使われている言葉だ。

 

娘がいると、大人だけでいるときには生まれない、想定不能の面白さが生まれる。彼女の奇想天外な言動に、思わず吹き出してしまうような場面が多々あるのだ。

 

もちろん大人だけの、アンダーコントロールの心地よさ、穏やかさ、愉しさもあるのだが、子供がいるハチャメチャな面白さは、一度味わうと抜けられなくなる。

 

ただ、ファンタジスタのプレーは観ていて面白いのだが、チーム内で機能しなければ、もっと言うと、他のメンバがうまく活かすことができなければ、ファンタジスタは孤立し、チームとしての規律も崩壊しかねない。

 

そういう意味では、司令塔でありゲームメイクを担当するレジスタという役割の者が、ファンタジスタの手綱を握り、使いこなせるかどうかが重要となってくる。

 

我が家で言えば、レジスタは妻である。妻が娘の手綱を握っているうちは、我が家は最高に楽しいチームになる。が、そこのコントロールを失ってしまった日にゃ、バランスを崩し、家族は大変なことになるのだった。

 

昨夜、ベッドの上での団らん時には、家族三人とてもよい調和を見せていた。娘が伸び伸びと躍動し、妻もうまく娘をコントロールしていた。皆が自然に笑い合い、家族の絆を改めて実感することができた。

 

ふと、では私は何の役を担っているのだろうか、という疑問が湧いてきた。出した結論は『監督』である。

 

チームが良いプレーをしたら選手達のおかげ、悪いプレーをしたら監督のせい。父親という存在は、そういう立場で家族というチームに関わっているのではないか。

 

家族を不幸にしないよう、今日も頑張って働こう。