いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

水底の女

レイモンド・チャンドラー『水底の女』を読了した。
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これにてチャンドラーの全長篇作品を読み終えたことになる。感無量だ。今作でも、私立探偵フィリップ・マーロウがとにかく格好よくて、心躍らせながら最後のページまで辿り着くことができた。

 

解説で訳者の村上も述べているように、今作は他の6作と比べ少し変わった作品かもしれない。いつもなら複雑な展開が見られるのだが、今作ではシンプルなトリックが、プロットにおいて一本の軸をつくっている。典型的な「ミステリらしさ」を具えた作品と言えるだろう。

 

それでもチャンドラーは文学作品として読めるのが魅力だ。軽妙洒脱な文章をなぞっているだけで快い気持ちになれる。この本は主に通勤時に読んでいたのだが、出勤の際には、ハードな仕事をこなすマーロウに入り込むことで、自然と仕事モードに切り替えることができた。

 

それにしても、もう亡くなっているチャンドラーの作品を全て読み終えてしまったと思うと、とても悲しい気持ちになる。もうこれ以上、彼の作品を読むことは敵わないのだ。これが現存している作家の本を読むときとの違いである。新作を待ち望むということができないのだ。

 

現在、本棚には出版順に7冊が並べられている。もちろん1軍の棚だ。私は宝石を手に取りたまにうっとりと眺めてしまうご婦人のように、気まぐれに1冊を取り出してみては、パラパラと捲りため息をもらしてしまう。これから何度でも、繰り返し読み続けていくのだろう。