いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

娘にほっとかれる

娘はたくましい適応力の持ち主だ。

 

娘たちが里帰りして早二週間が経った。今ではすっかり実家での生活にも慣れたようだ。そして、パパと離ればなれに暮らすということにも、彼女はすっかり慣れてしまったように見える。

 

昨夜もお風呂上がりにビデオ通話をした。挨拶を交わし、娘は楽しそうに一日の出来事を私に教えてくれた。ただすぐにスマホを妻の手に戻し、自分はタブレットで動画を見ると言い、部屋の隅へと行ってしまった。

 

妻の話では日中はタブレットは見せていないため、娘が好きな動画を見られるのはこの夜のわずかな時間だけなのらしい。そのため娘は早々に私との会話を切り上げ、タブレットの方へと向かったのであろう。

 

ビデオ通話を重ねるたび、娘が私に見切りをつけるのが早くなっている気がする。正直、寂しい気持ちもあるのだが、コロナで頻繁に会いにいけない現状を思うと、それが有り難く、頼もしく思えるのだった。

 

どんなに早くても、私が娘に会いに行けるのは妻が出産で入院する一ヶ月後だろう。状況によっては、更に一ヶ月後の彼女らが帰阪するときかもしれない。そんな状況下で、娘が寂しさを爆発させずに飄々としてくれているというだけで、心苦しさが軽減されるのであった。

 

そのような感じで、娘が相手をしてくれないこともあり、昨夜は妻と長話をした。その前も電話で話していたので、昨日は丸々二時間ほどは話しただろうか。

 

とても楽しかった。ここ最近、お互いに話すネタには事欠かないので、ところどころで話題を適宜切り替えながら、長いことふたりでおしゃべりをしていた。

 

娘が思春期に入ると、私と娘の間にはどんどんと距離がうまれてしまうのだろう。そんな寂しい時期に妻にまでそっぽを向かれてしまったら、私は耐えきれない。妻とはいつまでも、良好な関係を築いていたいものである。

 

無事に出産を終え、また家族みんなで我が家で暮らす日がとても楽しみだ。ありふれた日常の幸せというものは、得てしてこんなときに再確認させられるであった。