いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

真夜中のキャッチボール

0時を回った頃に妻から電話がかかってきた。

 

妊婦は眠れないらしい。一説によると、赤ちゃんが産まれてきたあとの生活に向けて、夜寝ないことに身体を慣らすためとも言われているらしい。なるほどなあ、と思った。

 

妻が近々入院することも見越して、娘は一日ごとにばあばと寝る練習をしている。昨夜もその日だった。妻はひとりで寝られないのに寂しくなり、私に電話をかけてきたというわけだ。

 

私としても現在離れて暮らしているので、妻とは話せるときに話をしたい。それに休日は一日中家に籠もって過ごしているので、誰かと話せるのは嬉しいことだった。

 

多様な話をしたが、メインは来週に控えている妻の出産のことだ。一人めが帝王切開だったため、二人めも同様の手段で産むことが決まっている。それゆえ、手術の日程が予め決まっており、なんだか不思議な感じがするのであった。

 

からしてみれば、腹を切られる時が刻一刻と近づいているのだ。怖いと何度も口にした。それはそうだろう。手術までのカウントダウンなんて、これまでに経験がないのだから。

 

その他にもいろいろな話をした。私は電話をするとき歩き回るのが癖である。昨夜も娘のミニサッカーボールをコロコロと蹴飛ばしながら、あてもなくぐるぐると部屋中を徘徊していた。

 

妻とのキャッチボールは心地よい。妻はなかなかの名手で、彼女の投げてくるボールはすっぽりとこちらのグローブに収まるのだった。また受け手としても優秀で、私の投げるどんなボールも涼しげにキャッチしてみせるのが常である。

 

実際のキャッチボールでもそうするように、私はときに挑戦的な投球を織り交ぜてみる。頭上高くにフライを放ってみたり、速いバウンドボールを投げてみたり。

 

それでも妻は、軽やかな身のこなしをもって、それらのボールを無理なくキャッチする。それゆえ会話はいつまでも続いていく。グローブが鳴らす快いキャッチ音を辺りに響かせながら。