いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

この『1』みたいなやつ

娘は女の子で、息子は男の子だ。

 

当たり前のことである。だが、そんな性別の違うふたりだからこそ起きた、面白い一幕というものが昨日はあった。妻から聞いた話である。

 

妻が息子のオムツ替えをしている際、その様子を興味津々に眺めていた娘が、こんなことを訊ねてきたらしい。

 

「赤ちゃんも、ウンチはおしりからだすの?」

 

「そうだよ」と妻は応える。ふむ、といった様子でうなづいた娘は、次にさしていた指を少し上方へと移動させる。

 

「じゃあ、おしっこは・・・この『1』みたいなやつからだすの?」

 

妻は娘の指を辿り、その『1』を特定すると、笑いを堪えるのに必死だった。かつてそれを数字に例えた者がいただろうか。子供の発想力というものは、とても無邪気でまっすぐだ。

 

「そうだよ。でもそれは赤ちゃんだからじゃなくて、この子が男の子だからだよ」。可笑しさを堪えながらも、妻は娘にそう教えてあげた。

 

ふーん。娘はそのように声を洩らしたそうだ。わかったのか、わからなかったのか。でもとにかく、自分とは違う身体の構造をしていることだけは、娘も理解してくれたようである。

 

しかし、そこで何かに気づいた娘は、更に首を傾げはじめる。一度引っ込めていた指を再び持ち上げ、今度はさきほどの『1』の下側についている、小さな『球体』を指さすのであった。

 

「じゃあ、これはなあに?」
「・・・・・なんだろうね、ほんとに」

 

妻ではその『球体』が何なのかをうまく説明できなかった。電話でその報告を受けた際にも私は妻から問われた。あれはいったい何なのか、と。私はこのエピソードを聞いて笑い転げた。妻や娘からしたら、それは永遠の謎であろう。

 

残念ながら私も、彼女らを納得させられるだけの説明は現時点持ち合わせていない。この私から言えるのはただひとつだ。繊細なものだから、頼むから大事に扱ってやってほしい、と。