いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

死んだことにされてる件

昨日は会社で昼食中に笑いをとった。

 

妻から聞いた娘の話を披露したのだ。会えなくなった私のことを、どうやら娘が『死』と結びつけはじめているらしい、という話だ。

 

「死んだら会えなくなるんだよ」。そのように私たちは娘に死の概念を教えていた。つまり娘は『会えない』=『死』と理解していたのだ。

 

そして、最近会えていない私について「これが死ぬってことなのかな?」と、娘が解釈しはじめていると言うのだった。

 

子供らしい発想に思わず笑ってしまった。でも教えられたことと今の状況を結びつけると、確かにそうなってしまう。話をした部長や後輩も、驚きの声をあげながらも笑っていた。

 

「それは早く生き返りに行かないと!」

 

部長も言ってくれた。「今月末に生き返りに行きます」と私は笑いながらに応えた。そうなのだ。娘に私は死んだわけじゃないのだと、早く教えに行かなければ。ビデオ通話でそのことを言ってもダメだろう。死んでも画面越しでは話せるんだ、と理解されるのがオチである。

 

本来、なかなかショッキングな話なので、笑ってばかりはいられないとは思うのだけど、子供の純粋さには思わず笑わされてしまうのだった。

 

そういえば、マキシマムザホルモンの曲に『ぶっ生き返す』という曲があったなと思い出した。思わず聴き返す。早くぶっ生き返らねば。