いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

「ねー♪」に入れてもらえない

妻と娘は仲良しだ。

 

娘は妻に対しては異常に優しい。躓くなどして奇声をあげれば、すぐに駆け寄り、神妙な面持ちで労りの言葉をかける。素敵な親子関係だ。

 

そんな彼女らは、しばしば「ねー♪」をやる。お互いに笑顔で向き合い、「ねーママ♪」「ねー◯◯ちゃん♪」と、示し合わせたように笑うのだ。まるで仲の良い友達同士である。

 

私はその輪の中には入れてもらえない。羨ましくて何度か「ねー◯◯ちゃん♪」と、ふたりを真似して投げかけてみたのだが、無情にも無視された。これは女の子同士の特権なの。娘はそのように捉えていると思われる。

 

また、入れてもらえないだけに飽き足らず、私はしばしば「ねー♪」のダシにされる。「パパってダメねー、ねーママ♪」といった具合に。

 

それが甚だ悔しい。妻や娘に叱られること自体は嫌いでない私なのだが、自分がダシにされた上、憧れの「ねー♪」を目の前で見せつけられたとなりゃ、悔しくて歯ぎしりをしてしまう。

 

「ねーパパ♪」

 

娘に言ってもらえないので自らでそう呟いてみた。素敵な響きだ。これを愛しの娘と親しげに目配せを交わしながらに言い合えたなら。なんとも素敵な光景であろうか。

 

娘は自分が女の子であることを自覚し、それを一種の誇りとして捉えている節がある。その証拠に、以前こんな趣旨のことを言っていた。

 

「パパは女の子じゃないでしょ。これは女の子になってからね。早く頑張ってなりなね」

 

どうやら娘にとっては「大人の女性」が人の完成形であるようだ。選ばれた者は女の子に生まれ、大人の女性を目指す。それ以外の者は男の子に生まれ、一度大人の男性になった上で、そこから大人の女性になるために日々努力を重ねる。

 

男がひどい思われようだが、娘が女であることを誇りに思っているのは良いことだ。私も早いとこ女になって「ねー♪」に入れてもらいたい。