いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

かつて天才だった私へ

半年前の私自身に向けて。

 

仕事気分が完全に霧散する前に、これをここに記しておきたい。君は乗りに乗っていた。新しい職場がエース部署だと知り、自分の実力がついに明に認められたとひとり悦に入っていた。

 

あの頃の君は、自分が仕事のできる人間だと信じていた。まだ経験は浅いが、どんな仕事がふられても自分ならなんなくやり遂げられるはずだ、そんな根拠のない自信を抱いていた。

 

自分は天才だ。よく妻にもそう言っていた。もちろん冗談ではあるが、あながち全てが嘘ではないとも思っていた。少なくとも仕事はできる。もって生まれたものだけで、たいした努力や挫折もせずに、悠々と成果を残せるのだと。

 

ランクがあがり、部下をもつことにもそこまで不安はもっていなかった。先輩を見ていても、なぜ彼らがこんなにも苦労しているかがわからなかった。自分ならもっとうまくやれるのに、そんな冷めた思いが常に自分を纏っていた。

 

新しい部署で働きはじめ、結果どうなったか。自分ができないことを知った。本当に優秀な人物がどうであるかを、思い知ることができた。

 

当たり前であるが私は天才ではなかった。これまで運が良かっただけのただの凡人であった。

 

私にはバイタリティが足りない。自信のあった頭脳だって、そこそこの集団の中に入ってしまえばイマイチぱっとしない。精神面も強くない。辛いことがあれば落ち込むし、逃げる余地があれば、逃げることばかりを考えてしまう。

 

これまで築いてきた私の『根拠のない自信』は、できないという『根拠に満ち溢れた事実』によって、完全に打ち砕かれてしまった。


今私は自分のことを天才だなんて思わないし、冗談であれ口がさけても言えないだろう。私が見て凄いと思う人がいて、その人にも凄いと思う人がいる。そしてその人にだってきっと、畏怖するほどに凄いと思える人がいるのだろう。

 

果てしない。素直にそう思えてしまう。私が今までこなし、いい気になってきた仕事たちは、今思えば大した仕事ではなかった。そして今私がやっている仕事も、数ヶ月後に振り返れば全然大したものではないに違いない。

 

2020年。打ち砕かれた私はゼロになった。

 

とてもショッキングなことだったが、同時にどこか安堵している自分も感じられる。

 

今の部署に来る前、私は冗談で妻にこんなことを言っていた。「俺に井の中の蛙だと気づかせてくれるとするなら、それはこの場所だと思う」。まさにその通りになったというわけだ。

 

来年は凡人だと自覚した上で、心持ち新たに頑張っていこうと思っている。与えられている仕事はなにも天才にしかできないことではないし、天才でなくたって、なにかしらの形で会社の役には立つことができるはずだから。

 

かつて天才だった私へ。今まで支えてくれて有難う。やっとスタート地点に立てた気がします。