いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

そのときは思いもよらぬ早さで

数日経っても拭えない感覚がある。


娘が私の元から巣立っていく感覚だ。連休の最終日、私たちは公園に出かけた。最後に娘と思いっきり遊ぼうと、私は張り切っていたのだ。


公園は平日だというのに子どもたちで溢れ返っていた。幼稚園が再開する前だったので、母親たちも家の中だけでは手に余ったのであろう。


しばし娘と一緒に楽しく遊んでいた。しかしふと、娘が何かを見つけてひとり駆け出した。そして大声で叫んでいる。どうやらクラスの友達を見つけ、その子の名前を呼んでいるようだ。


友達の方も思わぬ出会いに興奮し、手をつないでふたりで駆けだした。その子は上級生の男の子たちと追いかけっこをしていたようだ。娘も仲間にいれてもらい、一緒に遊びはじめた。


私はぽつんとひとり残された。上級生たちとの遊びはレベルが高く、最初は心配で後について回っていたのだが、娘は私に頼ろうともせず、それどころか、私にあっかんべーまでして、少し疎ましくも感じているようであった。


子供の親離れは思っているよりも早い。

それが女の子なら尚更だ。


そのような言葉は、娘が生まれたときから知っていて、ある程度は覚悟もしていた。ただこんなにも早いなんて。まさに思っていた以上であった。せめて小学生になるくらいまでは、友達よりもパパを選んでくれるものと過信していた。


高度な遊びにたまに置いて行かれながらも、娘は懸命に友達たちについて遊んでいた。パパと遊べばすべてが思い通りになるのに、思い通りにならなくても、友達と遊びたいのである。


それがすべてを物語っていた。本来は親として娘の成長を喜ぶべきところなのだが、正直なところ、私の心の中は複雑な感情で入り乱れていた。気持ちを落ち着かせようと、しばし娘から離れて、竹林の中をひとり歩き回っていた。


家に帰ると、娘は私に遊ぼうと言ってきた。うん、と私は応えた。少なくとも家の中では私を必要としてくれる。それでいいではないか。

 

すると娘は、私の表情からなにかを感じ取ったのか、遠慮がちな口調でこんなことを言った。


「こうえんで、○○ちゃんとあそんでたとき、べーってして、ひとりにして、ごめんね・・」


私をひとり置いて友達と遊んだことを、娘なりに気にしてくれていたのであろう。娘にそんな気を遣わせてしまっては親として失格である。


親よりも友達と遊ぶ方が楽しい。それはある程度の年齢になったら当たり前のことである。なにも悪いことではない。ただ、私の覚悟が甘かったというだけ。本当に想像を超える早さで、そのときがやってきたというだけなのだ。


その夜は妻に慰めてもらいながら、まだ0歳の息子を抱き上げ「君はまだだよな?」としつこく確認していた。男の子なんだからせめて6歳くらいはいけるよな、と、何度も何度も繰り返し。