いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

私の夢

今日でこのブログは1000日目となる。

 

記事数も1000。つまり毎日書いてきた。これまで1000日欠かさずにやったことが、呼吸する以外にあっただろうか。少しだけ感慨にふける。

 

せっかくなので何か特別なことを書きたくなった。そんなわけで私の夢について書いてみる。

 

私はサラリーマンをしているが、胸に秘めている夢がある。それはいつか自分の書いた本を世に出すことだ。一番喜ばしいのは大好きな『小説』という形でだが、まだそこまでは限定できていない。いくつか小説を書いてみたこともあるが、どれもてんで面白くなかったからだ。

 

それでも自分で文章を書き、それを形として残したいという夢は、長いこと捨てられていない。『本』という形式そのものもなくなるかもしれないというのに、大好きな小説たちの横に自分の本を並べることを未だに夢見ている。

 

いつから私は文章を書くのが好きになったのか。思い返せばいろいろとよみがえってくる。

 

最初の記憶は高校生のときだ。受験対策として評論文の授業をクラスで受けていた。そのとき何の気なしに書いた文章を、国語の教師が教室の前で取り上げ、絶賛してくれたのである。「ただし、これはエッセイであり、評論文ではないけどな!」と注意も受けてしまったけれども。

 

それまで私は、作文を書くことは苦手でなかったが、特に得意とも思っていなかった。教師はそれ以降、私を卒業まで「エッセイスト」と呼び続けた。不思議と嫌な気持ちはしなかった。

 

その次の記憶は大学生の頃だ。当時の流行もあり、私はmixiに凝った日記を書くのに夢中になっていた。友達からの反響もよく、それもあって私はそこで様々な文章を書いては遊んでいた。

 

大学二年の頃、親しい先輩と二人でニュージーランドバックパッカーとして旅をした。その際、立ち寄ったユースホステルで出会った老人に、ふいに何になりたいのかと尋ねられた。

 

「作家です」

 

何も考えずに自然と言葉が口を出た。拙い英語だったが相手には伝わったようだ。そのアメリカの老人は微笑み「それなら、もっとたくさん世界を見て周らなくちゃね」と優しく言ってくれた。私は英語力がないが、なぜかそのときの意味だけはすんなりと理解することができた。

 

大学院を卒業する年、私は就活をしていて、いくつかの有名企業から内定をもらっていた。そんな中、既に医師として働いていた兄と話す機会があった。私は少しは驚いてもらえるかもと思い、内定先を伝えた。兄は納得しない表情を浮かべていた。「じゃあ、何になればいいと思うのさ?」私は笑いながらに兄に問うてみた。

 

「・・・小説家とか?」

 

兄もmixiで私の文章を読んでくれていた。そしてたまに褒めてもくれていたのだ。私は「そんなアホな」と笑ってその場を取り繕ったのだが、実のところは震えるほどに嬉しかった。

 

兄がその後病気で亡くなったとき、私はいくつかの思い出と共にその時のことを改めて思い出していた。今でもたまにしみじみと噛み締めている。兄が私にくれた大切な贈り物の一つだ。

 

そのような思い出たちにも支えられ、私の中で文章を書く喜びはどんどんと高まっていった。そしてこのたび1000日間ブログを書き続けてみて、改めてわかったことがある。やはり私は文章を書くことが大好きだ、ということである。

 

なにごとも飽きっぽい私なのだが、『本を読むことと文章を書くこと』だけは飽きがこない。

 

まだ何の物語も浮かばないし、書くだけの実力もないのだが、好きで続けていけるということがわかっただけでも、私は希望を感じている。

 

スポーツと違い、文章はどんな年齢になっても書くことができる。私はこの夢を『いつまでも追い続けることができる夢』だと思っている。

 

何もかも捨て夢に邁進する、なんて思い切ったことはできないけれど、安定した会社で家族を養える程度の収入を確保しつつ、細く長く、自分の夢を追い続けていきたいなと思っている。