いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

冷血

トルーマン・カポーティの『冷血』を読了した。

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著者の最高傑作とも言われる名作だが、実際に起きた殺人事件のノンフィクション・ノベルということで、長いこと手を伸ばすことに躊躇っていた。

 

しかし先日『ティファニーで朝食を』を読み返し、カポーティの後期作品が読みたくなったので、満を辞してこのたび手に取った。

 

前評判に違わず素晴らしい作品であった。事実に基づく、それも被害者もいる事件を題材にしていることを考慮すると、至極不謹慎な物言いにはなるのだが、小説作品として語る上では、文句の付けようもないほどに一級品であると感じた。

 

ノンフィクションものと聞いて、読む前に思っていたイメージとはだいぶかけ離れていた。その事実を知らずに読めば、通常の小説だと思うだろう。それだけ構成が小説の形式を成していて、飽きることなく読み進めていくことができる。

 

私が虜となったカポーティ後期の文体も、今作でもその真価を発揮している。シリアスなこの物語を紡ぐために、カポーティはこの新しい文体を修得した、そう言われていることにも納得である。この物語を語る上では、この文体以外にはあり得ない。そう思わされるほどに、洗練され、調和のとれた文章で書かれているのだ。

 

莫大な情報を集め、事実に基づき描かれたというストーリーにも惹きつけられっぱなしであった。事実は小説よりも奇なりというが、事実を小説として書かれたら無敵なのだということを、今作を読んで理解させられることとなった。

 

実在した人物ばかりがでてくるので当たり前といえばそれまでだが、丹念な描写の折り重ねにより、どの人物の姿もありありと想像することができた。

 

また被害者側だけでなく、犯人側のバックボーンにも紙面が割かれており、同情とまではいかずとも感傷にも似た儚い想いが胸に湧きあがってきた。

 

本作そのものと、それを取材するカポーティを描いた映画もあるようなので、いつか観てみたい。

 

本作は気軽に読み返せるような代物ではないのだが、いつかまた長い時間を置いた後に読み返したいと思う。小説としての普遍性と強度をもった作品なので、何度再読しても色褪せることはないだろう。