フリスビーは投げる側のうまさが問われる。
今夜娘とフリスビーで遊んでいて、そのことを改めて実感していた。幼稚園からもらった柔らかいフリスビーを、家の廊下で娘と投げ合っていたのだ。
最初はお互いにまったく掴めなかったが、しばらくすると娘が連続してキャッチできるようになった。娘の方が要領を掴んだ、というのもあるが、どちらかというと、私が娘の捕りやすい所にコントロールして投げられるようになったことが要因だろう。
それでも娘は得意げで、自分と比べてキャッチ率の低い私を見下すような発言もしていた。娘は投げる方はなかなか安定せず、私の手が届く範囲に飛んでくる方が少なかった。もっと練習させなきゃな。
さて、そんな今日の日中は久々に会社に出社してきた。年末調整の書類を提出する必要があったからだ。朝会社に向かうのは億劫だったが、会社についてしまえば、久々に同僚とも雑談ができ、また危惧をしていた余計なオーダーを受けるということも回避できたので、そんなに悪くはない一日だった。
それでも、苦手視している部長は今日もなかなか荒ぶっていて、彼に目をつけられている別チームの課長が、けちょんけちょんにやられていた。
私の目からみても、たしかにその課長はイケてないのだが、それでも、もう少し部下のことを思いやった物言いができないものだろうかと、思わずにはいられなかった。部下に詰問を浴びせ、声を荒げてコーナーへと追い込み、萎縮させてしまうことに果たしてメリットはあるのだろうか。
コミュニケーションにおける言葉のフリスビーも、きっと投げる方の資質こそが問われるのではないか。そのことを忘れないようにしたいなと思った。