いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

締め付けられる心の痛み

昨夜のことにはなるが、日々の記録として、この胸の痛みを、ちゃんとここにも書き記しておきたい。

 

就寝前、妻とソファに座り話をした。娘はすでに寝室でひとり寝息を立てており、息子は部屋の隅でひとり遊びに興じてくれていた。

 

話題は日中にあった幼稚園の参観。園児達がお店屋さんをつとめるイベントに、妻だけ参加してきた。その動画や写真を私に見せてくれていたのである。

 

画用紙や絵の具で手作りしたハンバーガーやポテトを、カウンター越しに販売する娘。その可愛らしい姿が写る写真を、私は目を細めながらに見ていた。

 

しかし、おもむろに放った妻の言葉をきっかけに、私の気分が一変する。お店の中で並んだお友達三人と、娘との間に、わずかながら距離があるのだ。

 

たしかに、よくよく見ればどの写真でもそうだった。他の三人は仲よさそうに互いに身体を寄せあっているのだが、娘だけがそんな三人に対し、片思い的に身体を引っ付けているように見えるのだ。

 

動画を見直してみてもそうであった。娘は立ち位置的にも店の端っこに追いやられており、思うように三人の輪に入れていなかった。実際に現場にいた妻の目から見ても、そのように映ったようである。

 

娘本人は、そのことにはおそらく気づいていない。現に写真や動画の中でも無邪気に笑い、帰ってきてからもお店屋さんごっこが楽しかったと語っていた。三人のことも、仲のよい大好きなお友達だと認識しているようだ。

 

ただ大人の目から見ると、明らかに他の三人は相思相愛のように見え、一方で娘は、その仲間になんとかいれてもらっているように見えるのであった。

 

身体も小さく、性格も無邪気で子供っぽい娘は、落ち着いた三人とは少しテンポが合わない場面もあるのだろう。他の三人も無自覚ながら、娘に対し若干の違和感を感じているのかもしれない。

 

他の三人にはもちろん悪気なんてないだろう。でも、だからこそ子供の世界は残酷なのだ。娘が鈍感なゆえに、このことで傷ついてはいないが、ゆえに改善も容易ではないと思われ、親としては心をぎゅっと掴まれるような痛みを感じた。


自分のことじゃないのでどうすることもできない。ただ、いつか娘が友達との間にある奇妙な距離感に気づいたとき、どんなに悲しい気持ちになるだろうかと、想像するだけで息苦しさを覚えた。

 

幼稚園が大好き。お友達が大好きな娘。できればいつまでも無邪気で明るく、今のままでいてほしい。でも、この世界で生きていくうえでは、少しずつでも、大人になっていくことが必要なのだろう。

 

本当に生きていくのは過酷だ。子供であっても社会に入るとそれは一緒である。妻は自身の幼少期の経験と重ね、胸を締め付けられていた。女の子の社会は、男のそれとは違った難しさもあるのだろう。

 

親としてできることを、改めて考えさせられた出来事だった。周りの友達に自身が見劣りしてしまわぬよう、いろんなことを身につけていけるようサポートしてあげたいと思う。そしてなにより、どんなときでも一番の味方でいてあげようと、心に誓った。