いつかこの日々を思い出してきっと泣いてしまう

文学パパが綴るかけがえのない日常

タイムオーバーの絶望感

どうしてこうなった…。

 

時計の針が無常にも、我々の乗るはずだった新幹線の出発時刻を指した。そのとき私は絶望感に包まれながら、券売機のわきに呆然と立ち尽くしていた。

 

どうしてこうなった…。

 

*****

 

券売機に並ぶ長蛇の列を見て血流の上昇を感じた。

 

すぐに妻を最後尾に並ばせ、自分はもう一箇所ある券売機へと早足で向かう。予約済みチケットを発券できる券売機は、駅内には二箇所しか存在しない。

 

人混みをかき分けやっと券売機にたどり着く。こちらは券売機が数台あり、ひとつひとつの列は短い。すぐに最後尾に並び、妻を電話で呼ぶ。予約したクレカを持つ妻にしか発券はできないからだ。

 

妻が合流したときには、既に出発時刻の10分前を切っていた。ほんとにギリギリだ。とはいえまだ希望はある。妻の順番が来るまで、私は子供達を連れコンビニへ行き、新幹線で食べる朝食を調達した。

 

残り5分を切り妻の元へと戻る。まだ妻の前には三人の客が並んでいた。ひとりの女性が券売機前でもたもたしており、全然列が進んでいないようだ。

 

これは間に合わない。私の焦燥感が頂点に達した。近くにいた駅員に藁をも掴む思いで尋ねる。もし発車時刻までに発券できなければ何か救済措置はあるのか。ありませんね。駅員に冷たくあしらわれた。あまりの冷淡さに、心を挫かれる思いであった。

 

それでもなんとか戦意を取り戻し、もうひとりの駅員に間に合わない場合は発券すべきかどうかを尋ねてみる。私たちの早割チケットは列車指定なので、乗り損ねると別の列車にも乗れないらしい。ただ発券だけはしておいた方がよい。その言葉を信じて、私は妻に声をかけチケットを発券してもらった。

 

そのとき、時計の針が無常にも列車の出発時刻を指した。終わった。そう思いながらも足は改札へと走り、目的もわからぬまま構内へと入った。もう自由席でもなんでもいいから、どれかの列車に乗りこむことはできないだろうか。しかし混乱した頭では、どこに向かえばいいのかさえも判断できなかった。

 

どうしてこうなった…。

 

とりあえず電光掲示板をみてみよう。妻の冷静な意見に頷き、近づいて一心に見つめる。九州へと向かう便で最速なのは・・・あれだ!え、なんで!?

 

それは我々が乗る予定の便であった。既に時刻は3分も超過している。でも掲示板には表示されている。なぜかは不明だがまだ出発していないようだ。

 

私たちはすぐに駅のホームへと走り出した。階段を駆け上り、ホームへとたどり着くと、そこには扉の開いた新幹線が、まだ存在していたのであった。

 

遅れて階段を登ってきた妻を待ってから扉へと駆け込む。我々が車両に乗り切ったところで、背中で扉が閉まった。奇跡。なぜだか間に合ったようだ。

 

その後、自分たちの席に座り、車内放送にて我々に起きた奇跡の理由を知った。雪の影響で6分遅れの発車となったらしい。なんという救いの手だ。遅延の謝罪を繰り返す車内放送に、我々だけが「いえ、お陰で助かりました」と逆に頭を下げ続けていた。

 

新幹線に乗るときは、出発の一時間前までには駅に着いておくことを徹底しよう。いろいろと反省事項はあったがこの1点だけを今後の戒めとすることにし、妻との反省会を終わらせた。とにかく間に合った。その幸運に、安堵の気持ちが押し寄せていた。

 

どんなに絶望的な状況であれ、最善手と思われる行動を諦めずに取り続けた。そのことが、今回の奇跡を呼び寄せたのだと思う。反省はもちろんだが、この成功体験も忘れないようにしたいなと思った。

 

そんなわけで、無事に帰省が実現し、今日から妻の実家に連泊する。来れた喜びを噛み締めて眠ろう。